エレファント・トークとは、上野動物園でゾウやサルほか多くの動物を飼育した経験を活かして、講演やコラムの執筆、ラジオ出演などで活躍中の川口幸男(代表)をはじめとする、動物のプロが集まった動物コンサルタントユニットです。

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犬と人類のかかわり

今年2018年は戌年、人類がもっとも古くからお世話になっているのがイヌです。

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イヌにまつわることわざも多くあります。その一つが、

「犬も歩けば棒に当たる」

です。

現代のように、飼い主がリードを付けた犬と散歩していれば何も問題は起こりませんが、この諺が生まれた頃は放し飼いのイヌも多かった時代でのことでしょう。餌を求めて街中を放浪するイヌは、庶民に嫌がられて棒で叩かれ、追い払われる羽目にあったと思われます。
イヌもウロウロと出てこなければ棒で叩かれることはないのに…、が転じて
⇒余計なお世話をして出しゃばると思いがけない痛い目に合う、と言うときに使います。

ただし、この反対の意味にも使わることもあります。
外出している間に、思いがけず旧友に会い良い情報をもらったり、困った人を助けた縁で幸運にぶつかったり、するというときです。できればこちらの良い出会いに期待したいものですね。


「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ 」

犬は三日飼っただけでも、三年間その恩を忘れない。 まして人は恩知らずであってはいけない、という意味。
犬は昔から人々に飼われて人々の生活に役立っていました。

2017年12月22日 全国のイヌの飼育数は8,920,000頭で前年から436,000頭減少と発表されました。一方、ネコは217,000頭増加して9,526,000頭(推定)ネコの飼育頭数が増加したのでイヌとネコの飼育頭数が逆転しています。
イヌを飼育する場合、飼い主は厚生労働省で定める「犬の登録と狂犬病予防注射は飼い主の義務」が生じ、以下の3点を守る必要があります。
(1) 現在居住している市区町村に飼い犬の登録をすること
(2) 飼い犬に年1回の狂犬病予防注射を受けさせること
(3) 犬の鑑札と注射済票を飼い犬に装着すること
動物を飼うときには責任をもって生涯面倒を見る覚悟で飼育してください。とくに狂犬病は発症すると100%死亡する恐ろしいウイルスなので必ず予防注射を打ちましょう。

さて、現在、私たちがペットにしているイヌはタイリクオオカミを家畜化したものと考えられています。そこで次に原種となったイヌ科について紹介しましょう。

イヌ科
イヌ科は10属40種に分類されている。分類は諸説あって11または12属に分類する学者もいる。生息地は草原、森林、山間部、伐採林、叢林などで、オーストラリアと南極大陸以外はほとんど世界中に分布している。
通常は前肢に5本、後肢には4本の指があるが、ネコ科のように爪を引っ込めることができない。耳は生息域によって形状が異なり、フェネックのように砂漠など熱い地域に住む種類では大きな耳を持ち、鋭い聴覚と共に放熱器官としても役立っている。寒い地方に生息するホッキョクギツネは、寝るときにはふさふさした長い尾を抱いて防寒にしている。歯式は門歯3/3、犬歯1/1、小臼歯4/4、臼歯1~4/2~5で合計38~50本ある。上顎の第4前臼歯と下顎第1臼歯は鋭く尖り、肉を裂くように切ることができるので裂肉歯と呼ばれている。イヌ科の中でも昆虫をよく食べる種類では臼歯の数が増えるなど、食性と密接に関連している。ネコ科の動物より雑食傾向が強く植物も採食する。繁殖は生息環境に四季がある場合は、冬季に発情し春に出産する種が多く見られ、熱帯地方では年間を通して繁殖が見られる。


タイリクオオカミ
食肉目のなかまは単独で狩りをする種類が多いが、群れで狩りをする種もいる。オオカミの群れはパックと呼ばれ、ヨーロッパ、中近東、ロシア、アジア、北米、メキシコと広範囲に分布し、2000~4000m級の高地や平らな、山地、森林、砂漠からツンドラまで生息している。一般にツンドラのような寒帯にすむ亜種は大型で、餌も大きなヘラジカやトナカイ、ジャコウウシなどである。ふつう両親と子どもたちからなる7~8頭の群れで暮すが、寒帯で生活するグループは、冬季に20~30頭の大きな群れをつくり、大型の獲物を狙う。行動圏は100~13,000㎢と生息地や獲物の量などにより大きく変わる。群れは雌雄ともに順位制がみられ、上下関係は顔の表情や行動、声で表す。休息するときは出産用の巣とは別の土穴、岩の割れ目、樹洞、切り株の下などを使う。夜行性だが冬季には日中活動することもある。


からだの特徴
寒帯のアラスカに生息する亜種はイヌ科の中では最大で、体長130~160cm、体重80kgに及ぶ個体もいるが、熱帯や亜熱帯のアラビアやインドに生息する亜種は小型で、体長が80~120cm、体重20kg程度。体色は、一般に背中が灰色から黄褐色で腹側は黄白色ですが、全身黒色の個体もいる。また、地域によっては全身白色の場合もあり変化に富んでいる。寒帯で生活するグループは、毛の長さ6cm前後で、冬毛では淡色になる。さらに、頸部から肩、背中にかけて、およそ 13cmに達するマントのような毛が生えて、雪や雨から体を守っている。聴覚がすぐれ、耳を左右に動かして音の位置を確かめる。オオカミの遠吠えで知られるように、声はお互いのコミュニケーションの手段として、なわばりの宣言、挨拶、降伏、威嚇のときに使う。排泄もまた重要な情報手段で、一定の間隔で匂いを残しなわばりを主張する。嗅覚は鋭敏で1.6km先の獲物のにおいを嗅ぎ取れる。乳頭数は4~5対。


えさ
餌になる大型動物には、ヘラジカ、ワピチ、ジャコウウシ、オオツノヒツジ、シロイワヤギやバイソンなどがいる。中型のものは、ビーバー、ウサギ、そして小型のネズミ類の他に、魚、両生類、爬虫類等それぞれの生息地の動物がほとんど対象となる。1頭が1日に食べる量は平均すると2.5㎏になる。


繁殖
交尾期は1~4月の間で、発情が5日~7日間続きその間に交尾する。交尾は通常群れ内の順位の一番高いペアのみで行う。出産用の巣は、ふつう水辺に近くに掘った長さが2~4mのトンネル状の穴を使う。ほかの動物が使った穴なども利用し、2~3年使うこともある。その他に樹洞、岩の割れ目、倒木の下に掘った穴なども使う。妊娠期間は62~63日。1産1~11頭、平均で6頭を出産する。生まれたばかりの赤ちゃんの体重は約450gで、黒みがかった毛におおわれ、耳は垂れ、目は閉じており、開くのは生後約2週齢(生後11~15日齢)。生後2週齢で歩きはじめ、3週齢で穴の入り口あたりで遊び始める。この頃から遊びの中で順位が決まっていく。授乳は生後2週齢までは乳のみ。その後パックのメンバーが肉を胃に入れて帰り、吐き戻された肉片を少しずつ食べて生後6~8週齢で離乳する。生後6ヶ月齢頃から狩りの仕方を覚えていく。生後8週齢頃になると、普段群れが休憩用に使う巣穴の一つに移動する。性成熟は生後約22ヶ月齢で、繁殖は3歳になることが多い。育児は父親と群れに残った年長の子どもが協力して行い、母親以外のメンバーはヘルパーとなって、子どもの遊び相手や、狩りの獲物をそれぞれ巣に持ち帰り与える。番(つがい)は生涯続く。
長寿記録としては、ブタペスト動物園で1973年1月2日に死亡した個体の飼育期間17年6ヶ月、推定年齢20歳7ヶ月という記録がある。
外敵としては、唯一人間があげられる。
日本ではタイリクオオカミ(ハイイロオオカミ)の亜種で、北海道に生息していたエゾオオカミがいたが1900年ころ、また日本本土に生息していた亜種のニホンオオカミは1905年に奈良県で捕獲された個体が最後の1頭となり、両亜種ともに絶滅したと推測されている。
(参照:ヘーベルハウハウスのホームページ、おもしろ動物大百科の2010年No.60 タイリクオオカミ)


オオカミは人間が最初に家畜にした動物
私たちの周りにはウシ、ブタ、ヒツジ、ヤギ、ウサギ、ニワトリ、シチメンチョウなどのいわゆる家畜と呼ばれる動物がいます。これらの中で大型の草食獣は8,000~10,000年前に家畜化が始まりました。ところがイヌは近年のDNA分析によって33,000年前頃に飼育されたとしています。考古学的な検証で壁に描かれたイヌの絵や遺跡の中の骨などの化石から異論もありますが、かなり古くから人々が飼育していたのです。
古代の人々はイヌ以外にも様々な野生動物の馴致を試みたと考えられます。その中でオオカミが家畜化した理由は、オオカミの社会が人間と同様な家族単位の社会形態であったため馴致がしやすかったと考えられます。
例えば仮に30,000年前頃オオカミを馴らしたとしましょう。この頃の人類は農耕が始まっていない時代で、食料は狩猟の獲物、草、果実など雑食性でした。海岸線近くでは貝や魚が主食だったことが貝塚などからも判っています。古代の人々にとって特に肉食獣は外敵であり、オオカミも恐ろしい外敵の一種でした。
そのような生活の中で、オオカミの新生児を得た人々は育児に成功し、家族に子どもがいれば一緒に遊ばせたのではないでしょうか。授乳から一緒に育てればトラやヒョウ、ハイエナ、オオカミも、育てた人間に馴れることは現在の動物園やサーカスで実証済です。一緒に暮らしていれば、彼らが持つ鋭い聴力や嗅覚で人間の五感では気づかない外敵の侵入をいち早く察知し、異変を声や行動で示すでしょう。
当初、野生動物の飼育目的は食料調達のためでしたが、大型の草食獣のウシやウマ、ヒツジ、ヤギなどの飼育に成功すると、イヌは食料以外に番犬、狩猟、愛玩用などに飼育するようになったのです。


イヌの品種
オオカミが家畜化の道を辿ってから世界各地で様々なイヌと交配を重ねた結果、数多くの品種が創り出されました。日本の育種学は明治中頃から盛んになり急速に多くの品種が作られた。
そして、長い年月の間に種類数では世界中で在来種も含めると800種類以上となっています。このうち品種として認められているのは国際畜犬連盟(フランス語Fédération Cynologique Internationale=略称はFCI)が約350種類を公認しています。日本には一般社団法人ジャパンケネルクラブ(JKC)があり、200種近くが登録されています。多くの種類を区別するために、FCIとJKCでは犬の品種を大きく10に区分しています。両者の区分は若干異なるが概ね同様です。FCIは次の10グループに区分しています。
①牧羊犬・牧畜犬、②使役犬、③テリア ④ダックスフント ⑤原始的な犬 ⑥嗅覚
ハウンド ⑦ポインター/セッター ⑧以外の鳥猟犬 ⑨愛玩犬 ⑩視覚ハウンド。
日本犬の柴犬や秋田犬、スピッツなどは⑤原始的なグループに含まれています。柴犬はイヌの原種であるオオカミに似ています。
プードル、チワワ、トイプードルなどは⑨グループの愛玩用の品種で、原種のオオカミの面影は少なく人間が創り出したあたらしい容姿で人気です。


江戸時代の犬屋敷
江戸時代、第5代将軍徳川綱吉公は「生類憐みの令」公布した。1685年に初めて出して以来、24年間に135回も出しました。本来は犬などの動物に限らず、捨て子や病人など生き物すべてを保護するために出された法令で、人々に慈悲の心や道徳心を培おうとしたものでした。ところがこの保護政策で野犬が多くなり、むやみ叱ると罰せられるため庶民の悩みの種となったのです。そこで幕府は野犬保護のために1695年、中野に約100ヘクタールの広大な犬屋敷を作りました。最盛期には8万頭余りにのぼり、費用は年額98,000両に達したのです。犬屋敷の莫大な費用は、江戸の商家や天領の農民達の負担で賄われていましたが、1709年、綱吉が死去すると取り壊されました。
今からおよそ330年前に80,000頭の犬が1カ所で飼育されていたとは驚くばかりですね。

我が家では、2頭の柴犬と2頭のネコが老夫婦の間を取り持ち、生活に潤いをもたらしている。大の動物好きの奥方は雨にも負けず風にもめげず毎日朝昼夕の3回、柴犬2頭の散歩を欠かさない。 
犬の原種であるオオカミは順位制の家族群でオスとメスの2頭のリーダーがいる。我が家のペットたちにとってオスのボスが私、メスのボスが奥さんのはずである。ところが日常の彼らの反応を見ていると、彼らが敬うのは奥さんであり、一緒に生活している私は年老いた同居の一人に過ぎないようだ。最も散歩に連れて行かず、餌もあげないぐうたら亭主など見向きもしないのが道理だ。そんな彼らの様子を日々楽しみながら見ている。

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それにしてもイヌは一瞬にして誰がボスか認識するが、それは我が家の奥さんが獣医師で犬を扱い慣れているという特殊事情にもよる。動物病院に来て診察台に乗るとそれまで粋っていた猛犬さえもまな板の鯉状態でおとなしくなるイヌが多い。きっとイヌは獣医師のオーラを感じ取っているのだろう。

昔、動物園で小型のオオカミを捕まえるときに、担当者は一人で玉網(魚を掬うときに使うような網で素材が頑丈、かつ柄も太いもの)を持って室内に無造作に入りひょいと伏せてしまった。もちろん飼育係は他にも数人が外で様子を見ているのだが、ヘビに睨まれたカエルのように縮こまっていたのだ。新人の飼育係ではこんな芸当はできないので、先輩の方法を見て覚えるしかない。これが貴重な経験となり次世代に受け継がれていくのだ。
動物に接するときは何も警戒をしないでスッと近寄るのが一番良い方法と思う。嫌いな人は警戒オーラが知らぬ間に出るらしく近寄ると敏感なイヌは向こうが身構える。うちの奥さんはそのあたりが私と違い全く無意識に近寄れるのだと思う。


今年は「犬も歩けば棒に当たる」の戌年、
皆々様共々、戌年の良い運にめぐり逢いたいものです。

ニワトリにまつわる日本神話と鳥にまつわるクイズ

コケッコー、コケッコー

新年おめでとうございます
本年も皆様が健康で楽しい日々が送れるようにお祈りしています。

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日本神話にニワトリが登場する物語があります。

むかし高天原(たかまがはら)の国に天照大神(あまてらすおおみかみ)という太陽のように明るい神様がいました。
困ったことに彼女には乱暴者で名高い須佐之男命(すさのおのみこと)がいました。諫めても反省の気配もない弟に手を焼き、天の岩戸に引きこもってしまったのです。
するとどうでしょう。たちまち国中が真っ暗闇になりました。

これには神様たちも困り果て、岩戸の前に集まると歌や踊りではやし立てました。そして朝が来た合図にニワトリたちにコケッコー、コケコッコーと次々と鳴かせたのです。
外が余りに賑やかで、時を告げるニワトリまでも盛んに鳴き続けています。不審に思った天照大神が重い岩戸を少し開けて覗きました。
この時を待っていた力自慢の神様がグイとばかり岩戸を開き、一人の神様がすかさず天照大神の手を取り外に誘いました。まばゆいばかりの光がさんさんとふりそそぎ元の明るい国に戻ったのです。


ニワトリの祖先と十二支の話

ニワトリが家禽として飼われ始めたのは今から約5,000年前、あるいは8,000年前頃など諸説あります。
この頃アジアに広く分布していたセキショクヤケイ(赤色野鶏)が家禽化されたといわれています。
日本では約2,000年前の弥生時代の長崎県壱岐(いき)市のカラミ遺跡と原の辻遺跡からニワトリの骨が出土しており、この頃から飼育を始めたと考えられます。

ファイル 73-2.jpg日本の最古の歴史書として著名な古事記と日本書紀は約1,300年前頃まとめられていますが、その中に平安時代(794~1185年)に中国から「小国(ショウコク)」と呼ばれる尾の長い鶏が渡来したと記載されています。当初は宮廷の闘鶏として飼育していましたが、のちに各地のジドリと混血し日本固有の種となる尾長鶏や東天紅が作出されました。

十二支の考えは中国で約3,500年前に始まったと言われており、日本には5世紀後半に中国から伝えられました。ところで今年は酉年ですが、この「酉」とは、「果実などが熟した状態」のことわさすので、「酉年」は「商売繁盛の年」とも言われ縁起がいい年だそうです。


セキショクヤケイ(キジ目 キジ科 ヤケイ属)の特徴

ニワトリの祖先として考えられているセキショクヤケイは、オスの体重は800~1,000g、メスが500~700gなので、卵用種として有名な白色レグホーンの約半分、愛玩用として飼われているウコッケイ程度の大きさしかありません。繁殖期は3~5月で地上に枯草や草で巣を作り、産卵数は4~6個で抱卵期間は18~20日間です。多摩動物公園での繁殖例では、ふ化後3~5ヶ月には母親のもとを離れて独立しますが、産卵開始は翌年の春からになると報告されています。
1羽のオスと数羽のメスで群れを作ります。オス、メス共に順位制が見られ、とりわけ繁殖期のオスはメスを獲得するため気性が激しく攻撃的になります。このような荒い気性は家禽化されても残っているので、闘鶏や生贄として祭事に利用されるようになりました。また、オスは夜明け前に自分のなわばりを主張して大きな声で鳴きますが、この性質も家禽になってから残っていて時計代わりに利用されてきました。


鳥に関するクイズ

1.世界中で鳥は何種いるでしょう?
 ①約5,000種 ②約10,000種 ③約15,000種

2.ニワトリの1年間の産卵記録の最高は何個でしょう?
 ①165個 ②265個 ③365個

3.ニワトリの羽は何枚くらいあるでしょう?
 ①約500枚 ②約5,000枚 約50,000枚

4.ニワトリの孵化日数は?
 ①約2週間 ②約3週間 ③約4週間

5.ニワトリは小石を食べることがある?
 ①ある ②ない

6.白色レグホーンの指はふつう何本あるでしょう?
 ①3本 ②4本 ③5本

7.ミルクを飲ませる鳥は次のどれでしょう?
 ①ニワトリ ②カラス ③ハト

8.ガンやカモの仲間は1年の間に飛べない時期がある?
 ①ある ②ない

9.鳥にも汗腺がある?
 ①ある ②ない

10.マダガスカル島に生息していた絶滅種・エピオルニス(エレファントバード)の
  卵はニワトリの卵重量60gの何個分でしょう?
  ①約50個分 ②約100個分 ③約150個分

 


 


 


 


 


 


 


 


回答と解説

1.②約10,000種
動物の分類は近年DNAの解析が進み、ますます細分化する傾向にあります。10年前に約9,000種と推定されていましたが、2016年12月8日 IUCNレッドリストでは11,121種としています。新種が発見されて増えたのではなく、最新の更新で700 種近い鳥類が再評価され、亜種から種になったものです。

2.③365個
365個の産卵記録は(1938~1939(昭和14)年11月)に橋本善太氏によって達成されギネスブックに乗りました。1952年の閏年には366個の産記録もあります。原種となっているセキショクヤケイは通常一腹で1年に5~8個産みます。キジ科の仲間は採卵すると、産み足す習性があり、毎日採卵することで産卵数を伸ばすように改良したのです。そのために日照時間を調節するとともに、生息環境を繁殖期と同様な温度や湿度にしたり、餌も青菜の他にもカルシュウム補強など十分配慮したりしています。

3.②約5,000枚。
ニワトリは品種が多く120種以上もいるので小型と大型では枚数がかなり違うことでしょう。一応の目安としてください。小型のハチドリは約1,500枚、コハクチョウは25,000枚以上などの報告もあります。

4.②約3週間
孵化日数の長い鳥としては、シロアホウドリは78~80日、キウイ(ニュージーランドに生息する飛べない鳥)約75日、エンペラーペンギンは7~8週間です。
以前は孵(ふ)卵器の温度は約38度、湿度65~70%に設定し、毎日転卵と言って90度くらいずつ卵を回し、湿度も孵化が迫ると変えていました。今ではこれらの作業を全自動で行っています。

5.①ある
鳥の嘴(くちばし)には歯がありません。その代り砂のう(筋胃とも呼ばれる)があって砂や小石を飲み込んでここにためておき、骨や繊維を砕くのを助けています。

6.②4本
前に3本、後ろ向きに1本(第1趾・親指)あって小指が欠けています。 鳥全般で見ると、ダチョウは中指と薬指の2本指で、草原を走るに適しています。

7.③ハト。
繁殖期になるとオス、メス共に食道の嗉嚢(そのう)の壁から脂肪とタンパク質を多く含んだチーズ状の物質が分泌されます。ヒナは母親の口から頭を入れて、別名このハトのミルク(ピジョンミルク)と呼ばれる液体を飲みます。ハトの仲間は嘴(くちばし)を水につけた状態で飲むことができます。

8.①ある
多くの鳥は繁殖期が終わると換羽します。ガンカモ、オオバンなどの水鳥は一度に多くの羽が抜けて一時飛べなくなります。換羽は年2回(オオルリ冬羽と夏羽)か、またはライチョウのように3回する種類もいます。

9.②ない
鳥には汗腺がありません。暑いときには熱は気嚢(きのう)の中で汗になり、呼気と共に鼻と口から外に放出されます。
寒い時は体温を逃がさないために羽を膨らませ暖かい空気の層を作ります。
鳥は飛ぶためにからの組織を極力軽くしています。歯がなく軽い羽をもち、消化器も哺乳類に比べると極端に短いのです。 

10.③約150個分
マダガスカル島に生息していた絶滅種・エピオルニス(エレファントバード)の1個の卵は約9,000gあり、ニワトリの約150個分の重さでした。

 


 

酉のように元気いっぱい大声を出して頑張ろう!

本年もエレファント・トークをよろしくお願い申し上げます。

川口幸男・中里竜二・大高成元(写真家)・伊藤政顕・山本洋輔(両生類・爬虫類)
川口明子・金井慎人・金井理恵

干支のニワトリについて、詳しい情報を知りたい方は、へーベルハウスのホームページを参照してください。


参考文献
鳥に関する300の質問 A&Hクリュクシアンク著 青柳昌宏訳 1982 講談社

ニホンザル「チロ」の話し - その2

その後、サルが増えすぎて搬出することになり、チロの子どもたちもいなくなりました。すると、チロの様子がおかしいことに気が付きました。なんとチロが岩に向かって座わる日が続き始めました。アリでも探しているのかと思っていましたが、彼女の目の先は何をみているのか不明で、じっと岩を見つめていました。私はすぐに娘たちが急にいなくなったショックだと直感しました。小柄なチロがしょんぼりと首をうなだれて岩に向かって座る姿は哀れです。こんなときほど飼育の非情さを感じることはありません。だからといってチロの娘を搬出しなければ他のサルが代わりに行かなくてはなりません。大局的に判断すれば群れの分割はやむを得ないのですが、チロの姿を見ているとかわいそうでなりません。精神的な打撃から食欲の不振や元気がない状態が続き、そのまま病気になるのではないかと心配になり、「おーい がんばれよー」と、みんなで応援していました。

1カ月後交尾期がやってきました。交尾期になり、発情ホルモンが分泌されて肉体的にも精神的にも非交尾期と異なり、群れ全体が活気づきます。メスは臀部や外陰部が腫張し、オスは睾丸が下降し赤く腫張し、雌雄ともに異性に対しての関心が強くなって、活気がみなぎるのです。発情がきたチロもまた岩を見つめて過ごすことがなく、娘のチョウチョウを失った悲しみをすっかり忘れたかのように恋の虜になりました。その後めでたく懐妊したチロは半年後の7月、かわいい女の児を出産しました。この年の子供たちは薬品名を命名することに決定し、子供はチンクユと名付けられました。再び自分の子を授かったチロは、生き生きした表情を取り戻しました。チンクユの前にすでに3頭の育児を経験しており、自分の子を持ったときの喜び、失ったときの悲しみを知っているはずです。育児のベテランであるはずのチロがまるで初産のようにしっかりとチンクユを抱いています。うっかり子どもを放した隙きに、チンクユが連れ去られるのを警戒しているようです。

「大丈夫だよ。もうチロの子どもはどこにも出さないから」

私は思わず独り言をいっていました。
そして、四年後、チンクユに子ができてユキガッセンと命名され、チロはおばあちゃんになったのです。おばあちゃんになったチロは娘のチンクユと孫がかわいくて仕方ありません。

一方、チンクユは親の過保護を知ってか、すぐ前にゴロリと横になるとチロの手を引っ張り、グル-ミングをせがむのです。チロはそんなチンクユが愛しいらしく、催促されるままにいそいそとグル-ミングをしていました。過去にまるで子どもの連れ去り事件?があったことなど知るよしもない娘と一緒に生活できる嬉しさが一杯でした。

顔や毛の色は艶を失い、後ろ足の後遺症でとくに右足が不自由で、大きな段差のある場所は簡単に上がることができません。飼育員はこのような彼女の体の具合を熟知して、掃除のときには彼女を脅かせないように気を配っていました。

1992年夏の調査によれば、メスガシラ一族のアイズホマレが群れの中心として多くのメンバ-と関わる中で、もう一方の人気者がなんとチロという調査結果が出ています。老化は歴然としていますが、体力のない彼女はコドモたちの遊び相手としても人気があり、また、年老いたオスたちも他のメスのようにチロから攻撃される恐れがなく安心して一緒に過ごせたからでしょう。

動物園では1990年からシルバ-ガイドが発足しました。人生経験豊かなシルバ-ボランティアの方々からも、チロの華奢な体と不自由な後足と控え目な態度は共感を覚えるのか人気がありました。私自身も子供時代、祖父や祖母に可愛がられて育ったためか、人間にせよ動物にせよ高齢者には敬意と親近感をもっていました。1992年の調査結果で、チロが実際にはメスの中にも多くのサルと接触をもっていることが判った時、サル社会でも年寄りはなんでも包みこんでしまうような包容力があり、それが人気の秘密かと考えたものです。

チロは1993年に28歳であの世に旅立ちましたが、当時のサル山では最長寿でした。

なお、現在のサル山は隣接して寝小屋ができ、安全に1頭を捕獲できるので昔のようにサルに負担をかけないそうです。

ファイル 72-1.jpg私たちエレファント・トークのメンバーも現在は老人クラブのような状況になってきましたが、最年長の伊藤政顕さん、大高成元さん、山本洋輔さん、中里竜二さんと毎月1回集まり、意気軒昂で昔のことは昨日のことより良く覚えているので楽しいひと時を過ごしています。
メンバーが揃うと多くの動物に対応できるので、有袋類やパンダは中里さん、両生類、爬虫類は山本さん、動物全般は伊藤さん、写真のことなら世界中を見て回った写真家・大高さんとそれぞれの専門家がチェックしています。

今年もよろしくお願い致します。

写真は、大高成元さん撮影です。母親に抱っこされて赤ちゃんは安心しています。

ニホンザル「チロ」の話し - その1

新年明けましておめでとうございます

今年も皆様元気に過ごせますようにお祈りしています。

最近の分類はDNAの解析が進み、昔は考えられなった目(分類のもく)が一部代わっています。その一つが偶蹄目(ウシやカモシカ他)とクジラ目が近縁と判り、クジラ偶蹄目と分類され、今では分類学者たちの多くが認めています。また、霊長目の中では、類人猿と呼ばれたゴリラ、オランウータン、チンパンジー、ボノボ及び人間がヒト科に含まれ、数え方も何頭ではなく、人間と同様に何人とする学者もいます。

さて、今年は申(さる)年ですが、私は上野動物園に勤務していた時代、サル山のニホンザルとゾウを約40年間担当しました。現在は群れも入れ替わっていますが、定年頃にはサル山で生まれた子どもは6代目の子どもがいました。

今回はその中から「チロ」と命名されたサルを紹介しましょう。

チロはメスの中でも小柄で腕力も弱く、ケンカも強くないために目立たない存在でした。母親はチビコ、おばあさんはオオババアという屋久島産のサルでした。当時メスで一番順位が高く、メスガシラと呼ばれていたサルはハンガクの娘、ハサンでした。彼女はチロと対照的に向こう気が滅法強いサルで、ボスは一目も二目も置いていたサルでした。チロとハサンは同じ屋久島産ですが、血縁ではないので普段の生活はハサン一家の御機嫌を取りながら、一定の距離を隔てて接していました。

1971年(昭和46年)2月に事件は起きました。群れは交尾期の最中、私は朝、事務所に入る前にサル山の全頭について健康状態をチェックしていました。するとチロが後ろ足のふくらはぎから出血し、足を引きずっていることに気付きました。まだ負傷後あまり時間が経過していないらしく出血が多く、処置をどうするか考えながら急いで事務所に行き、獣医師や他の飼育担当者の出勤を待って対応を検討しました。

動物園にはベテラン臨床医のスタッフが揃っているので、この程度の傷なら入院治療すれば完全に回復することは請け合いです。それでも尚且、私たちが協議しているのは二者択一の選択を協議しているのです。一つはチロを捕獲する方法、2つ目は経過を見守ることです。

ファイル 71-1.jpg捕獲するためには、飼育係員がサル山の中に入って、捕獲用の玉網(約1~1.2mの樫の柄の棒に直径40センチ、長さ50センチの漁網がついているもの)を使って捕獲します。しかし、そのために例えば飼育員5人がサル山に入ると、サルたちは全員自分が捕獲対象になっていると錯覚し、慌てふためき避難を始め、やがて恐怖が限界にくると、なかには11mもある山の頂上からコンクリートの地面に飛び降りるサルも出てきます。普段なら決してそんな無謀なことはしませんが、人間に捕まるより飛び降りる方を選ぶのです。それはビルの三階の部屋が火事になり、逃げ場を失った人が火勢に追われて地上に飛び降りるようなもので、非常に危険です。

ふつう予防注射などで捕獲をする場合、サルが飛び降りても骨折をしないように、山の周囲にネットやマットを敷き詰めて事故を未然に防ぐ手立てを講じているのです。また、捕獲作業は短時間で終了しないと、追われるショックで恐慌を来し、ついには酸欠状態を呈しショック死を招くこともあります。そのため飼育係員が総出で綿密な計画を立て実行します。さらにチロは足を負傷中なので、逃げまどうと高所から落下することが懸念されます。

観察を続けていると、今回のチロのふくらはぎからの出血は多量とはいえ、命に別状のあるほどではないようです。彼女は私と目が会うとそっぽを向いて顔を会わせるのを避けるそぶりが見えました。彼らは病気や怪我をすると飼育係が大勢やってきて捕まえられ、どこかに連れて行くのを経験で知っているのです。それで、どこも痛くありません。と平静を装って私に弱みを見せまいとしているのです。私たちは出血の状況やちょっとした動きの変化、山のどこにいるか、ほかのサルたちのチロへの関心、だれが攻撃し、だれが援護しているか、昨日は餌を食べていたか、などをすばやく総合して判断します。こんな場合、ベテランの獣医師と私たち飼育係の経験が頼りです。

この朝、私たちはチロの出血が止まるか否か、他のサルとの関係の他にも、昨日からの採食状況から餌は採食していることがわかっていました。しかし、捕獲となると他のサルの赤ちゃんをはじめ、多くのサルが逃げることによってチロと同様、あるいは更に重い怪我をする可能性が強いと判断し、チロを捕獲して治療することを断念し、経過を観察していくことにしました。幸運なことに午後になると出血は止まり、他のサルが再び攻撃することがないのを確認し、みんなでほっと胸をなでおろしました。

2015年の干支、ヒツジにまつわる昔話

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明けましておめでとうございます!


2015年の干支にちなみヒツジにまつわる昔話を紹介しましょう。

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- 羊を贈る -

中国は親孝行の国として有名な国です。

むかしむかし、おじいさんとおばあさんの息子は良縁に恵まれ、結婚して幸せに暮しはじめました。やがて待ち望んでいた男の子を授かりました。やさしい夫婦は一人っ子を大切に思い、あまやかせて育ててしまいました。わんぱく盛りの年頃になると、息子はなんでも自分の思うように通そうとして、わがままの限りをつくします。夫婦はほとほと困ってしまいました。

初夏がきて麦が金色にかがやくころに、実家に帰った夫婦は息子のこのありさまを涙ながらに両親に話しました。それを聞いた両親は

「麦刈りが終わったあとで孫に会いに行ってあげよう」

と言ってくれました。約束通り、おじいさんは飼っているヒツジの母子を連れて孫に会いに来ました。

孫はヒツジの子とおおよろこびで遊んでいました。子ヒツジは孫に追いかけられて母ヒツジから遠く離れてしまいました。すると母ヒツジが「メー、メー」と鳴きました。母親の声を聞くと、子ヒツジは急いで戻ってきました。そして、母親のおなかの下にひざまずくと、お乳を飲み始めました。やがて腹いっぱいになると満足してぐっすりと眠ってしまいました。

そこで孫はおじいさんにたずねました。

「おじいさん、おばあさん、どうしてお母さんは鳴いたの?」

ファイル 70-2.jpg「それはね。お母さんは子どもが遠くに行ってしまうと心配だ。それでお乳の時間だよ、と呼んだのさ。お母さんは子どもがそばにいれば安心できるし、子ヒツジはお乳を飲めれば満足だろう。お乳を飲んで大きくなったということを、良く知っている。それで、かならずひざまずいて飲むのさ」

そして、おじいさんは話をつづけました。

「人間も同じだ。みんなお母さんのお乳を飲んで大きくなっているんだ。子どもを育てることは、とてもたいへんなことだ。いつも、おなかをすかせていないか、冬、寒くないか、夏になれば暑くてかわいそうだからすずしいところに行こう、とね。お父さんとお母さんは、いつもお前のことを心配しているんだよ。だから、両親の言いつけを守れない子どもは、ヒツジより聞き分けのない子どもだと、みんなから笑われるんだ」

これを聞いて、孫は言いました。

「おじいさん、おばあさん、ぼくが悪かったよ。これからは、お父さんとお母さんのいうことを聞くよ」

それからおじいさんとおばあさんは、毎年孫にヒツジを贈り、孫は年を追うごとに良い子になりました。この話が広まってくると、他のうちでもヒツジを贈って孫のしつけをするようになったそうな。

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干支のヒツジは日本やアジア各国でも使っていますが、ベトナムではヒツジの代わりにヤギが干支になります。
ヒツジは8,000~10,000年前から家畜として飼育され、2012年国際連合食糧農業機関(FAO)の集計によれば、世界ヒツジの飼育頭数ランキングの第1位は中国の1億8700万頭、第2位インド7500万頭、第3位オーストラリア7472万頭、日本は世界158位で12000頭(2010年)でした。
日本の減少理由は、気候が高温多湿で寒冷地を好むヒツジに適さなかったことや、国土が狭く大きな群れで放牧する農家が少なかったことに起因していると考えられます。

世界中では10億頭以上が飼育され、ラムやマトンになり、人々は肉や乳、チーズなど舌鼓を打って食し、腸はテニスラケットの弦、脂肪は化粧品の材料として使われています。さらに、家に入ればムートンを敷き、毛で編んだセーターを着、外出の時はウールのコートにマフラーを巻くなど、いやはや、まさに捨てるところがないくらい広範囲に利用され、お世話になっているのです。

やさしい外観は見る人の心を和やかにしますが、ヒツジはその代表的な動物の1種でしょう。

今年はヒツジにあやかっておだやかな年になりますように一緒にお祈りしましょう!


本年もエレファント・トークをよろしくお願い申し上げます。

川口幸男・中里竜二・大高成元(写真家)・伊藤政顕・新宅広二
川口明子・金井慎人・金井理恵

干支の羊について、詳しい情報を知りたい方は、へーベルハウスのホームページを参照してください。

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