エレファント・トークとは、上野動物園でゾウやサルほか多くの動物を飼育した経験を活かして、講演やコラムの執筆、ラジオ出演などで活躍中の川口幸男(代表)をはじめとする、動物のプロが集まった動物コンサルタントユニットです。

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ニワトリにまつわる日本神話と鳥にまつわるクイズ

コケッコー、コケッコー

新年おめでとうございます
本年も皆様が健康で楽しい日々が送れるようにお祈りしています。

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日本神話にニワトリが登場する物語があります。

むかし高天原(たかまがはら)の国に天照大神(あまてらすおおみかみ)という太陽のように明るい神様がいました。
困ったことに彼女には乱暴者で名高い須佐之男命(すさのおのみこと)がいました。諫めても反省の気配もない弟に手を焼き、天の岩戸に引きこもってしまったのです。
するとどうでしょう。たちまち国中が真っ暗闇になりました。

これには神様たちも困り果て、岩戸の前に集まると歌や踊りではやし立てました。そして朝が来た合図にニワトリたちにコケッコー、コケコッコーと次々と鳴かせたのです。
外が余りに賑やかで、時を告げるニワトリまでも盛んに鳴き続けています。不審に思った天照大神が重い岩戸を少し開けて覗きました。
この時を待っていた力自慢の神様がグイとばかり岩戸を開き、一人の神様がすかさず天照大神の手を取り外に誘いました。まばゆいばかりの光がさんさんとふりそそぎ元の明るい国に戻ったのです。


ニワトリの祖先と十二支の話

ニワトリが家禽として飼われ始めたのは今から約5,000年前、あるいは8,000年前頃など諸説あります。
この頃アジアに広く分布していたセキショクヤケイ(赤色野鶏)が家禽化されたといわれています。
日本では約2,000年前の弥生時代の長崎県壱岐(いき)市のカラミ遺跡と原の辻遺跡からニワトリの骨が出土しており、この頃から飼育を始めたと考えられます。

ファイル 73-2.jpg日本の最古の歴史書として著名な古事記と日本書紀は約1,300年前頃まとめられていますが、その中に平安時代(794~1185年)に中国から「小国(ショウコク)」と呼ばれる尾の長い鶏が渡来したと記載されています。当初は宮廷の闘鶏として飼育していましたが、のちに各地のジドリと混血し日本固有の種となる尾長鶏や東天紅が作出されました。

十二支の考えは中国で約3,500年前に始まったと言われており、日本には5世紀後半に中国から伝えられました。ところで今年は酉年ですが、この「酉」とは、「果実などが熟した状態」のことわさすので、「酉年」は「商売繁盛の年」とも言われ縁起がいい年だそうです。


セキショクヤケイ(キジ目 キジ科 ヤケイ属)の特徴

ニワトリの祖先として考えられているセキショクヤケイは、オスの体重は800~1,000g、メスが500~700gなので、卵用種として有名な白色レグホーンの約半分、愛玩用として飼われているウコッケイ程度の大きさしかありません。繁殖期は3~5月で地上に枯草や草で巣を作り、産卵数は4~6個で抱卵期間は18~20日間です。多摩動物公園での繁殖例では、ふ化後3~5ヶ月には母親のもとを離れて独立しますが、産卵開始は翌年の春からになると報告されています。
1羽のオスと数羽のメスで群れを作ります。オス、メス共に順位制が見られ、とりわけ繁殖期のオスはメスを獲得するため気性が激しく攻撃的になります。このような荒い気性は家禽化されても残っているので、闘鶏や生贄として祭事に利用されるようになりました。また、オスは夜明け前に自分のなわばりを主張して大きな声で鳴きますが、この性質も家禽になってから残っていて時計代わりに利用されてきました。


鳥に関するクイズ

1.世界中で鳥は何種いるでしょう?
 ①約5,000種 ②約10,000種 ③約15,000種

2.ニワトリの1年間の産卵記録の最高は何個でしょう?
 ①165個 ②265個 ③365個

3.ニワトリの羽は何枚くらいあるでしょう?
 ①約500枚 ②約5,000枚 約50,000枚

4.ニワトリの孵化日数は?
 ①約2週間 ②約3週間 ③約4週間

5.ニワトリは小石を食べることがある?
 ①ある ②ない

6.白色レグホーンの指はふつう何本あるでしょう?
 ①3本 ②4本 ③5本

7.ミルクを飲ませる鳥は次のどれでしょう?
 ①ニワトリ ②カラス ③ハト

8.ガンやカモの仲間は1年の間に飛べない時期がある?
 ①ある ②ない

9.鳥にも汗腺がある?
 ①ある ②ない

10.マダガスカル島に生息していた絶滅種・エピオルニス(エレファントバード)の
  卵はニワトリの卵重量60gの何個分でしょう?
  ①約50個分 ②約100個分 ③約150個分

 


 


 


 


 


 


 


 


回答と解説

1.②約10,000種
動物の分類は近年DNAの解析が進み、ますます細分化する傾向にあります。10年前に約9,000種と推定されていましたが、2016年12月8日 IUCNレッドリストでは11,121種としています。新種が発見されて増えたのではなく、最新の更新で700 種近い鳥類が再評価され、亜種から種になったものです。

2.③365個
365個の産卵記録は(1938~1939(昭和14)年11月)に橋本善太氏によって達成されギネスブックに乗りました。1952年の閏年には366個の産記録もあります。原種となっているセキショクヤケイは通常一腹で1年に5~8個産みます。キジ科の仲間は採卵すると、産み足す習性があり、毎日採卵することで産卵数を伸ばすように改良したのです。そのために日照時間を調節するとともに、生息環境を繁殖期と同様な温度や湿度にしたり、餌も青菜の他にもカルシュウム補強など十分配慮したりしています。

3.②約5,000枚。
ニワトリは品種が多く120種以上もいるので小型と大型では枚数がかなり違うことでしょう。一応の目安としてください。小型のハチドリは約1,500枚、コハクチョウは25,000枚以上などの報告もあります。

4.②約3週間
孵化日数の長い鳥としては、シロアホウドリは78~80日、キウイ(ニュージーランドに生息する飛べない鳥)約75日、エンペラーペンギンは7~8週間です。
以前は孵(ふ)卵器の温度は約38度、湿度65~70%に設定し、毎日転卵と言って90度くらいずつ卵を回し、湿度も孵化が迫ると変えていました。今ではこれらの作業を全自動で行っています。

5.①ある
鳥の嘴(くちばし)には歯がありません。その代り砂のう(筋胃とも呼ばれる)があって砂や小石を飲み込んでここにためておき、骨や繊維を砕くのを助けています。

6.②4本
前に3本、後ろ向きに1本(第1趾・親指)あって小指が欠けています。 鳥全般で見ると、ダチョウは中指と薬指の2本指で、草原を走るに適しています。

7.③ハト。
繁殖期になるとオス、メス共に食道の嗉嚢(そのう)の壁から脂肪とタンパク質を多く含んだチーズ状の物質が分泌されます。ヒナは母親の口から頭を入れて、別名このハトのミルク(ピジョンミルク)と呼ばれる液体を飲みます。ハトの仲間は嘴(くちばし)を水につけた状態で飲むことができます。

8.①ある
多くの鳥は繁殖期が終わると換羽します。ガンカモ、オオバンなどの水鳥は一度に多くの羽が抜けて一時飛べなくなります。換羽は年2回(オオルリ冬羽と夏羽)か、またはライチョウのように3回する種類もいます。

9.②ない
鳥には汗腺がありません。暑いときには熱は気嚢(きのう)の中で汗になり、呼気と共に鼻と口から外に放出されます。
寒い時は体温を逃がさないために羽を膨らませ暖かい空気の層を作ります。
鳥は飛ぶためにからの組織を極力軽くしています。歯がなく軽い羽をもち、消化器も哺乳類に比べると極端に短いのです。 

10.③約150個分
マダガスカル島に生息していた絶滅種・エピオルニス(エレファントバード)の1個の卵は約9,000gあり、ニワトリの約150個分の重さでした。

 


 

酉のように元気いっぱい大声を出して頑張ろう!

本年もエレファント・トークをよろしくお願い申し上げます。

川口幸男・中里竜二・大高成元(写真家)・伊藤政顕・山本洋輔(両生類・爬虫類)
川口明子・金井慎人・金井理恵

干支のニワトリについて、詳しい情報を知りたい方は、へーベルハウスのホームページを参照してください。


参考文献
鳥に関する300の質問 A&Hクリュクシアンク著 青柳昌宏訳 1982 講談社

ニホンザル「チロ」の話し - その2

その後、サルが増えすぎて搬出することになり、チロの子どもたちもいなくなりました。すると、チロの様子がおかしいことに気が付きました。なんとチロが岩に向かって座わる日が続き始めました。アリでも探しているのかと思っていましたが、彼女の目の先は何をみているのか不明で、じっと岩を見つめていました。私はすぐに娘たちが急にいなくなったショックだと直感しました。小柄なチロがしょんぼりと首をうなだれて岩に向かって座る姿は哀れです。こんなときほど飼育の非情さを感じることはありません。だからといってチロの娘を搬出しなければ他のサルが代わりに行かなくてはなりません。大局的に判断すれば群れの分割はやむを得ないのですが、チロの姿を見ているとかわいそうでなりません。精神的な打撃から食欲の不振や元気がない状態が続き、そのまま病気になるのではないかと心配になり、「おーい がんばれよー」と、みんなで応援していました。

1カ月後交尾期がやってきました。交尾期になり、発情ホルモンが分泌されて肉体的にも精神的にも非交尾期と異なり、群れ全体が活気づきます。メスは臀部や外陰部が腫張し、オスは睾丸が下降し赤く腫張し、雌雄ともに異性に対しての関心が強くなって、活気がみなぎるのです。発情がきたチロもまた岩を見つめて過ごすことがなく、娘のチョウチョウを失った悲しみをすっかり忘れたかのように恋の虜になりました。その後めでたく懐妊したチロは半年後の7月、かわいい女の児を出産しました。この年の子供たちは薬品名を命名することに決定し、子供はチンクユと名付けられました。再び自分の子を授かったチロは、生き生きした表情を取り戻しました。チンクユの前にすでに3頭の育児を経験しており、自分の子を持ったときの喜び、失ったときの悲しみを知っているはずです。育児のベテランであるはずのチロがまるで初産のようにしっかりとチンクユを抱いています。うっかり子どもを放した隙きに、チンクユが連れ去られるのを警戒しているようです。

「大丈夫だよ。もうチロの子どもはどこにも出さないから」

私は思わず独り言をいっていました。
そして、四年後、チンクユに子ができてユキガッセンと命名され、チロはおばあちゃんになったのです。おばあちゃんになったチロは娘のチンクユと孫がかわいくて仕方ありません。

一方、チンクユは親の過保護を知ってか、すぐ前にゴロリと横になるとチロの手を引っ張り、グル-ミングをせがむのです。チロはそんなチンクユが愛しいらしく、催促されるままにいそいそとグル-ミングをしていました。過去にまるで子どもの連れ去り事件?があったことなど知るよしもない娘と一緒に生活できる嬉しさが一杯でした。

顔や毛の色は艶を失い、後ろ足の後遺症でとくに右足が不自由で、大きな段差のある場所は簡単に上がることができません。飼育員はこのような彼女の体の具合を熟知して、掃除のときには彼女を脅かせないように気を配っていました。

1992年夏の調査によれば、メスガシラ一族のアイズホマレが群れの中心として多くのメンバ-と関わる中で、もう一方の人気者がなんとチロという調査結果が出ています。老化は歴然としていますが、体力のない彼女はコドモたちの遊び相手としても人気があり、また、年老いたオスたちも他のメスのようにチロから攻撃される恐れがなく安心して一緒に過ごせたからでしょう。

動物園では1990年からシルバ-ガイドが発足しました。人生経験豊かなシルバ-ボランティアの方々からも、チロの華奢な体と不自由な後足と控え目な態度は共感を覚えるのか人気がありました。私自身も子供時代、祖父や祖母に可愛がられて育ったためか、人間にせよ動物にせよ高齢者には敬意と親近感をもっていました。1992年の調査結果で、チロが実際にはメスの中にも多くのサルと接触をもっていることが判った時、サル社会でも年寄りはなんでも包みこんでしまうような包容力があり、それが人気の秘密かと考えたものです。

チロは1993年に28歳であの世に旅立ちましたが、当時のサル山では最長寿でした。

なお、現在のサル山は隣接して寝小屋ができ、安全に1頭を捕獲できるので昔のようにサルに負担をかけないそうです。

ファイル 72-1.jpg私たちエレファント・トークのメンバーも現在は老人クラブのような状況になってきましたが、最年長の伊藤政顕さん、大高成元さん、山本洋輔さん、中里竜二さんと毎月1回集まり、意気軒昂で昔のことは昨日のことより良く覚えているので楽しいひと時を過ごしています。
メンバーが揃うと多くの動物に対応できるので、有袋類やパンダは中里さん、両生類、爬虫類は山本さん、動物全般は伊藤さん、写真のことなら世界中を見て回った写真家・大高さんとそれぞれの専門家がチェックしています。

今年もよろしくお願い致します。

写真は、大高成元さん撮影です。母親に抱っこされて赤ちゃんは安心しています。

ニホンザル「チロ」の話し - その1

新年明けましておめでとうございます

今年も皆様元気に過ごせますようにお祈りしています。

最近の分類はDNAの解析が進み、昔は考えられなった目(分類のもく)が一部代わっています。その一つが偶蹄目(ウシやカモシカ他)とクジラ目が近縁と判り、クジラ偶蹄目と分類され、今では分類学者たちの多くが認めています。また、霊長目の中では、類人猿と呼ばれたゴリラ、オランウータン、チンパンジー、ボノボ及び人間がヒト科に含まれ、数え方も何頭ではなく、人間と同様に何人とする学者もいます。

さて、今年は申(さる)年ですが、私は上野動物園に勤務していた時代、サル山のニホンザルとゾウを約40年間担当しました。現在は群れも入れ替わっていますが、定年頃にはサル山で生まれた子どもは6代目の子どもがいました。

今回はその中から「チロ」と命名されたサルを紹介しましょう。

チロはメスの中でも小柄で腕力も弱く、ケンカも強くないために目立たない存在でした。母親はチビコ、おばあさんはオオババアという屋久島産のサルでした。当時メスで一番順位が高く、メスガシラと呼ばれていたサルはハンガクの娘、ハサンでした。彼女はチロと対照的に向こう気が滅法強いサルで、ボスは一目も二目も置いていたサルでした。チロとハサンは同じ屋久島産ですが、血縁ではないので普段の生活はハサン一家の御機嫌を取りながら、一定の距離を隔てて接していました。

1971年(昭和46年)2月に事件は起きました。群れは交尾期の最中、私は朝、事務所に入る前にサル山の全頭について健康状態をチェックしていました。するとチロが後ろ足のふくらはぎから出血し、足を引きずっていることに気付きました。まだ負傷後あまり時間が経過していないらしく出血が多く、処置をどうするか考えながら急いで事務所に行き、獣医師や他の飼育担当者の出勤を待って対応を検討しました。

動物園にはベテラン臨床医のスタッフが揃っているので、この程度の傷なら入院治療すれば完全に回復することは請け合いです。それでも尚且、私たちが協議しているのは二者択一の選択を協議しているのです。一つはチロを捕獲する方法、2つ目は経過を見守ることです。

ファイル 71-1.jpg捕獲するためには、飼育係員がサル山の中に入って、捕獲用の玉網(約1~1.2mの樫の柄の棒に直径40センチ、長さ50センチの漁網がついているもの)を使って捕獲します。しかし、そのために例えば飼育員5人がサル山に入ると、サルたちは全員自分が捕獲対象になっていると錯覚し、慌てふためき避難を始め、やがて恐怖が限界にくると、なかには11mもある山の頂上からコンクリートの地面に飛び降りるサルも出てきます。普段なら決してそんな無謀なことはしませんが、人間に捕まるより飛び降りる方を選ぶのです。それはビルの三階の部屋が火事になり、逃げ場を失った人が火勢に追われて地上に飛び降りるようなもので、非常に危険です。

ふつう予防注射などで捕獲をする場合、サルが飛び降りても骨折をしないように、山の周囲にネットやマットを敷き詰めて事故を未然に防ぐ手立てを講じているのです。また、捕獲作業は短時間で終了しないと、追われるショックで恐慌を来し、ついには酸欠状態を呈しショック死を招くこともあります。そのため飼育係員が総出で綿密な計画を立て実行します。さらにチロは足を負傷中なので、逃げまどうと高所から落下することが懸念されます。

観察を続けていると、今回のチロのふくらはぎからの出血は多量とはいえ、命に別状のあるほどではないようです。彼女は私と目が会うとそっぽを向いて顔を会わせるのを避けるそぶりが見えました。彼らは病気や怪我をすると飼育係が大勢やってきて捕まえられ、どこかに連れて行くのを経験で知っているのです。それで、どこも痛くありません。と平静を装って私に弱みを見せまいとしているのです。私たちは出血の状況やちょっとした動きの変化、山のどこにいるか、ほかのサルたちのチロへの関心、だれが攻撃し、だれが援護しているか、昨日は餌を食べていたか、などをすばやく総合して判断します。こんな場合、ベテランの獣医師と私たち飼育係の経験が頼りです。

この朝、私たちはチロの出血が止まるか否か、他のサルとの関係の他にも、昨日からの採食状況から餌は採食していることがわかっていました。しかし、捕獲となると他のサルの赤ちゃんをはじめ、多くのサルが逃げることによってチロと同様、あるいは更に重い怪我をする可能性が強いと判断し、チロを捕獲して治療することを断念し、経過を観察していくことにしました。幸運なことに午後になると出血は止まり、他のサルが再び攻撃することがないのを確認し、みんなでほっと胸をなでおろしました。

2015年の干支、ヒツジにまつわる昔話

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明けましておめでとうございます!


2015年の干支にちなみヒツジにまつわる昔話を紹介しましょう。

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- 羊を贈る -

中国は親孝行の国として有名な国です。

むかしむかし、おじいさんとおばあさんの息子は良縁に恵まれ、結婚して幸せに暮しはじめました。やがて待ち望んでいた男の子を授かりました。やさしい夫婦は一人っ子を大切に思い、あまやかせて育ててしまいました。わんぱく盛りの年頃になると、息子はなんでも自分の思うように通そうとして、わがままの限りをつくします。夫婦はほとほと困ってしまいました。

初夏がきて麦が金色にかがやくころに、実家に帰った夫婦は息子のこのありさまを涙ながらに両親に話しました。それを聞いた両親は

「麦刈りが終わったあとで孫に会いに行ってあげよう」

と言ってくれました。約束通り、おじいさんは飼っているヒツジの母子を連れて孫に会いに来ました。

孫はヒツジの子とおおよろこびで遊んでいました。子ヒツジは孫に追いかけられて母ヒツジから遠く離れてしまいました。すると母ヒツジが「メー、メー」と鳴きました。母親の声を聞くと、子ヒツジは急いで戻ってきました。そして、母親のおなかの下にひざまずくと、お乳を飲み始めました。やがて腹いっぱいになると満足してぐっすりと眠ってしまいました。

そこで孫はおじいさんにたずねました。

「おじいさん、おばあさん、どうしてお母さんは鳴いたの?」

ファイル 70-2.jpg「それはね。お母さんは子どもが遠くに行ってしまうと心配だ。それでお乳の時間だよ、と呼んだのさ。お母さんは子どもがそばにいれば安心できるし、子ヒツジはお乳を飲めれば満足だろう。お乳を飲んで大きくなったということを、良く知っている。それで、かならずひざまずいて飲むのさ」

そして、おじいさんは話をつづけました。

「人間も同じだ。みんなお母さんのお乳を飲んで大きくなっているんだ。子どもを育てることは、とてもたいへんなことだ。いつも、おなかをすかせていないか、冬、寒くないか、夏になれば暑くてかわいそうだからすずしいところに行こう、とね。お父さんとお母さんは、いつもお前のことを心配しているんだよ。だから、両親の言いつけを守れない子どもは、ヒツジより聞き分けのない子どもだと、みんなから笑われるんだ」

これを聞いて、孫は言いました。

「おじいさん、おばあさん、ぼくが悪かったよ。これからは、お父さんとお母さんのいうことを聞くよ」

それからおじいさんとおばあさんは、毎年孫にヒツジを贈り、孫は年を追うごとに良い子になりました。この話が広まってくると、他のうちでもヒツジを贈って孫のしつけをするようになったそうな。

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干支のヒツジは日本やアジア各国でも使っていますが、ベトナムではヒツジの代わりにヤギが干支になります。
ヒツジは8,000~10,000年前から家畜として飼育され、2012年国際連合食糧農業機関(FAO)の集計によれば、世界ヒツジの飼育頭数ランキングの第1位は中国の1億8700万頭、第2位インド7500万頭、第3位オーストラリア7472万頭、日本は世界158位で12000頭(2010年)でした。
日本の減少理由は、気候が高温多湿で寒冷地を好むヒツジに適さなかったことや、国土が狭く大きな群れで放牧する農家が少なかったことに起因していると考えられます。

世界中では10億頭以上が飼育され、ラムやマトンになり、人々は肉や乳、チーズなど舌鼓を打って食し、腸はテニスラケットの弦、脂肪は化粧品の材料として使われています。さらに、家に入ればムートンを敷き、毛で編んだセーターを着、外出の時はウールのコートにマフラーを巻くなど、いやはや、まさに捨てるところがないくらい広範囲に利用され、お世話になっているのです。

やさしい外観は見る人の心を和やかにしますが、ヒツジはその代表的な動物の1種でしょう。

今年はヒツジにあやかっておだやかな年になりますように一緒にお祈りしましょう!


本年もエレファント・トークをよろしくお願い申し上げます。

川口幸男・中里竜二・大高成元(写真家)・伊藤政顕・新宅広二
川口明子・金井慎人・金井理恵

干支の羊について、詳しい情報を知りたい方は、へーベルハウスのホームページを参照してください。

午年にちなみ馬にまつわる話し

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年初めに今年の干支にちなんでウマにまつわる話をいくつか紹介しましょう。

大願成就に奉納する絵馬の歴史

家族や恋人、あるいは一人で初詣に神社へ参拝し絵馬を奉納して大願成就をお願いした方も多いと思います。この絵馬の由来なのですが、昔は貴族など特権階級の方が生きた馬を奉納したそうです。当時のウマは現在ならば車が買えるほどの貴重な動物ですから庶民では手がでません。そこで庶民も奉納できるように1,000年くらい前から木の板にウマの絵を書いて祈願するようになりました。人々は神社に絵馬を奉納し願い事を託したことで、心が晴ればれとして正月気分になったことでしょう。
昔から現在まで変わらない絵馬の役割と言えそうです。


いつ頃からなんのために家畜にしたのでしょう

ウマの家畜化はいまからおよそ6,000年前と考えられていますが、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ブタなどの大型の家畜はすでに約1万年前から飼育が始まっていました。ウマの方が家畜化は遅いのですが、家畜を飼う当初の目的は食糧確保のためで、初期の動物の方が扱い易く、乳や毛皮、羊毛など利用できる点で優れていたと推察できます。

家畜化した野生ウマについては諸説ありますが、アジアや西欧に生息していたタルパン、シンリンタルパン、モウコノウマの3種が家畜ウマの原種と考えられています。野生のタルパンはすでに絶滅し、現在残っているのはモウコノウマ1種類です。この記事の写真の馬がすべてモウコノウマです。

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野生のモウコノウマは絶滅しましたが1899年に初めて飼育に成功しました。そして、ヨーロッパの動物園で飼育していた個体が幸運にも生き残り繁殖した約400頭をモンゴルの野生保護区に野生復帰させるために放すほどになっています。世界中のモウコノウマは本種の保存をするために血統登録を行い、近親交配を避けながら世界各地の動物園に分散させて飼育管理をしています。多摩動物公園は昨年すばらしいモウコノウマの飼育展示場を完成させて飼育しています。興味のある方は足を運んで背中の素敵なたてがみをなびかせ逞しく走る姿を楽しんでください。


アニマルセラピーで活躍

日本でアニマルセラピーと言えば、イヌやネコが有名で家族構成が少ない、あるいは高齢化で話し相手の少ない家庭ではこれらのペットが家族の一員となっています。また、病院や介護施設などを訪問してペットと触れることで心を癒してくれる、ことが知られています。

一方、欧米ではイヌ、ネコの他に乗馬がアニマルセラピーに良いとされています。背景にはヨーロッパ人の祖先は狩猟民族で、ウマが家畜化されると現在の車と同様に彼らの生活にとってかけがえのない有能な動物になりました。肉用から使役、そして娯楽の乗馬、競馬やポロ競技、と時代と共に変遷しましたが、人々の生活が豊かになる一方で、その目的の一つに乗馬がアニマルセラピーとして脚光を浴びるようになったのです。背中が平らで目の前に頭を上げればちょうど良い高さに頸があり、人間が乗るために生まれてきた動物と表現する人もいます。今から20~30年前サーカスが来日するたびにその裏側を訪問して、どのように調教しているかお話を伺っていました。10頭くらいを調教していた女性のウマの調教師は狭い曲芸場で回転させたり、後肢だけで歩かせたり、さまざまな芸を披露していました。長い鞭を持っていましたが叱るのではなく、合図を送るために必要だそうです。ウマは優しく接すれば良く理解し、反応するので厳しく叱ってはダメと言いながら愛しそうに頬を頸に寄せていました。ウマと接するチャンスが多い欧米人はウマの記憶力や人間に対する反応が細やかで乗り手の意思を素早く読み取ることができることを良く知っています。

ウマはまっしぐらに駆け抜けると表現しますが、成就することを目標にお互いに頑張りましょう。

本年もエレファント・トークをよろしくお願い申し上げます。

 川口幸男・中里竜二・大高成元(写真家)
 伊藤政顕・新宅広二
 川口明子・金井慎人・金井理恵


干支の午について、詳しい情報を知りたい方は、へーベルハウスのホームページを参照してください。

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