2017年 酉年
天照大神(あまてらすおおみかみ)とニワトリのエピソード
神話に高天原(たかまがはら)の国に天照大神(あまてらすおおみかみ)と言う太陽のように明るい神様がいたそうな。彼女には乱暴者の弟須佐之男命(すさのおのみこと)がいました。あまりに度が過ぎた弟に手を焼き天の岩屋に引きこもってしまいました。太陽のように明るい神様が隠れたとたん国中が真っ暗になったのです。これには神様たちも大慌てで榊の枝にきれいな球や鏡、鎧を吊り下げ太陽の使いのニワトリを鳴かせました。
「コケコッコー、コケコッコー」ときれいな声で鳴き続けます。
大勢の神様は手をたたき笑って中には桶の上で踊りだす女の神様もいます。すると岩屋の中にいた天照大神はなんで外は真っ暗なのにみんなで笑って騒いでいるんだろう、と不思議に思い岩戸を少し開けて外をのぞきました。そのとき力自慢の神様が重い石の扉をグイと開き天照大神の手を取り外に誘うとあたりはたちまち太陽の光に満ち溢れもとの明るい国に戻ったのです。
にわとりの祖先
この神話に登場するニワトリの祖先は、アジアに広く分布するヤケイ(野鶏)のなかまと考えられています。ヤケイはキジ目キジ科ヤケイ属に属していて次の4種に分類されます。
- ハイイロヤケイ(インド)
- セイロンヤケイ(スリランカ)
- アオエリヤケイ(ジャワ島、小スンダ列島)
- セキショクヤケイ(東南アジア、中国南部、海南島、南アジア)
ニワトリの祖先については4種のいずれもが係わっていたとする多元(源)説と、最も広い分布域を持つセキショクヤケイが直接の祖先とする単元(源)説があります。現在はDNA、遺伝子の構成、鳴き声などの科学的な研究からセキショクヤケイが祖先と考える単元説が有力となっています。
セキショクヤケイは森林や草原に生息していますが、原生林よりも人間が開発したような二次林を好むとの報告もあります。一夫多妻の群れを作り昼間は地上で夜間は樹上で過ごします。繁殖期の3~5月にはオスはメスの獲得となわばりを守るために攻撃的になります。営巣は草や枯草を使って地上に作ります。4~6個の卵を産み、メスだけが18~20日間抱卵します。雑食性で地上や樹上で果実、種子、根、昆虫などを食べます。オスは闘争心が強いため、飼育下で複数のオスを一緒に飼うことはできません。
ヤケイの家禽化の目的
ニワトリがどのような目的で作られたかその過程を簡単に分けてみると次の4つの目的があげられます。(1)時を告げる (2)儀式の生贄 (3)闘鶏 (4)食料。
1.時を告げる。
古代より夜は神や妖怪の活動する時間でニワトリが鳴くのを合図に彼らも一斉に退場すると考えられていました。ニワトリが家禽になったのは、インドでは5,200年前、中国では青銅時代甲骨文字に鶏が現れているので3,000年以上前、パキスタンのモヘンジョダロ遺跡からは約4,000年前の遺跡から遺骨が出土しており大方5,000年前に家畜化した、とする一方、8,000年前頃インドシナ半島で家禽化が始まったと推測している学者もいます。
家禽にした目的として上記の4つの要因が挙げられますが、その過程の順番は肉や卵と言った経済性を取るか、それとも宗教に関連する生贄や闘鶏などの娯楽の方が先かまだ議論のあるところです。
日本に家禽としてのニワトリが移入されたのは今から約2,000年前で、長崎県壱岐(いき)のカラカミ遺跡と原の辻遺跡から骨が発見されています。飼育の目的は鳴き声を聞き時刻を知ることでした。例えば、夜間石垣を築いていた地方で500個を積む予定でしたが499個まで積んだ時にニワトリが鳴いて中断した話や、弘法大師が一夜で橋を渡そうとしたところニワトリが鳴いて中止した話が伝承されています。
鶏の鳴き声
「鶏鳴けば万鶏歌う」のことわざにもなっています。転じて、学校や社会に出た後も、誰かが先頭を切って「賛成!」と声を上げると意味が解っていなくても次々と賛成!賛成!と声を上げる様を言い表すときに使います。
以前タイ国のゾウの村・スリーンで村長さんの自宅にホームステイしたときのことです。日本では岩手県などで母屋と馬屋が一体となったL字型の住宅で隣にウマやウシを飼っていましたが、タイではウシやウマの代わりに牙が立派な大きなオスゾウが木の柱に細いチェーンで繋がれていました。さらにその横の壁一枚隣にニワトリが5~6羽いました。夜中に、突然1羽のニワトリが「コケコッコー」と高い声で鳴くと次々とニワトリが鳴くのでうるさくて眠れません。もう朝が来たのかと思って腕時計を見ると夜中の1時30分です。ニワトリは夜明けに鳴くものだと信じていた私は夜明けが6時頃なので早くても4時頃かなと思っていたので、思わずちょっと早すぎないか、と自問しながら我慢したものです。これでは気軽にニワトリを住宅密生地で飼うのは近所迷惑になるのでためらいますね。
ニワトリは鳴くときにも順番がある。
ニワトリの行動は100年近くも前から研究され、ノルウエーの動物学者トルライフ・シェルデラップ=エッベ(ThorleifSchjelderup-Ebbe)は1922年の学位論文で、メスのニワトリを群れ飼育し、ニワトリに順位があることを初めて突き止めたのです。
メスを群れで飼育していると強い個体は劣位の個体を突いて攻撃し順位が決まります。劣位の個体は逃げ場が十分ある野外で飼育していれば良いのですが、狭い場所で飼育すると総攻撃を受ける羽目になり、最下位の個体は餌が十分食べられません。ニワトリが順位性の鳥であることは養鶏を営む人々に知られていたので飼育方法も考慮して飼育しています。
餌だけでなく夜明け前に鳴く順番が決まっていて、最初に一番強いオスが鳴き、続いて序列に従って鳴くのです。鳥の鳴き声は私たちが考えている以上に様々な情報を伝えています。順位の高い個体は最初に鳴くことで声の届く範囲に存在を示し、序列に従って鳴くことで群れの秩序が保たれているのです。そして、繁殖期には強い個体が群れのメスと交尾します。
2.儀式の生贄
古代では祈祷師・シャーマンが集団の中で重要な地位を担っていました。彼らは占いや邪霊の侵入を防ぐ儀式のときに生贄(いけにえ)としてウシ、ヒツジ、ヤギと共にニワトリも使われ、時には人間さえも対象になりました。やがてニワトリが飼育され始めると扱いやすく哺乳類に比べ安価なニワトリも生贄となっていきました。
3.闘鶏
古代中国、インド、ペルシャ、ギリシャ、ローマが起源とされる闘鶏は、日本においては1,147年作の土佐光長の年中行事絵巻物に画かれ、さらに日本書紀にも1,500年前雄略天皇の時代に闘鶏に関する記述があるので、この頃始まっていたと考えられています。1,000年ほど前には宮中で盛んに行われて宮中の年中行事となりやがて庶民の間にも広まりました。代表的な品種の一つ生国(しょうこく)は平安時代(794~1185年)に中国から入り、軍鶏(しゃも)は江戸時代初期にシャム(現在のタイ)から輸入されています。
4.食料
私たちの食卓に欠かせない食材の一つに卵があります。子どもから大人まで人気のあるお菓子やから揚げ、鶏由来の料理は数多くあります。飼育数も半端ではなく農林水産省の畜産統計調査(平成28年2月調査)によると全国で採卵鶏は1億7573万3,000羽、ブロイラー(孵化後3ヶ月未満で肉用として出荷される若鶏)は1億3439万6,000羽が飼育されているので、両者合わせると、およそ3億羽のニワトリの恩恵に与っています。
ニワトリは1年に何個の卵を産むか
本稿執筆で思い出したのが、伊豆大島の中学校時代に理科の先生でお世話になった佐野正雄先生です。授業の合間に「奥様はニワトリが初めて1年間(昭和13~14年(1939年)11月の間)365日毎日産卵に成功した世界記録保持者・橋本善太さんのお嬢さん」ということでした。中学生時代はそれがいかに凄いことかよく理解できなかったのですが、動物園に勤務して初めて理解できました。先生のご高著によれば、昭和の初期(1930年代)、卵は貴重な食糧として量産に向けて年間産卵数を競っていていた時代でした。年間に364個の産卵を記録した個体は昭和13年(1938年)に9羽いて世界記録に認定されていましたが、翌年橋本氏が更新しました。そして、昭和27年(1952年)は閏年(うるう年)で366個を産んだと記録されていますが、検定基準が1年365日なのでこの成績は採用されなかったとそうです。また、肉用種のプリマスロック種も同年365個の卵を産んだ、というのです。これらの功績により同氏は黄綬褒章を受賞しています。昭和20年(1945年)ころの大学の初任給が6,000円で、種鶏となるオスは1羽10,000円で売れた、とあります。それほど種オスは貴重で価値の高い鳥でした。
本来、原種となるヤケイのなかまは春や初夏の日照時間が長く温度が高い季節に一腹で5~8個の卵しか産みませんから、2腹でも10数個と言うところです。ところが産卵した卵を採ると産み足す習性があるため、ニワトリはこれを利用して毎日採卵することで産卵数を伸ばしたのです。科学的な動物の飼育管理が進んでくると様々な行動が解明され日照時間の長短がホルモンの分泌を促し換毛などの引き金となることもわかりました。日光の代わりに電灯を12~16時間点灯し、さらに繁殖期の自然環境を再現するために冬でも暖房をつけました。そして卵の殻はカルシウムが必要なためカキの貝殻を砕いて青菜と一緒に与えたのです。
この他にも通風や日々の管理で十分観察を行い病気についても細心の注意が払っていたのです。
現在養鶏場では年間1羽で300個の卵を産んでいるニワトリたちですが、それまでには橋本善太さんをはじめ多くの方々による多産鶏作出のドラマがあったのです。
ニワトリの体のひみつ
1.羽
鳥の最大の特徴の一つは羽ですが、単に飛ぶためだけではなく寒い環境の中体温を保持する役割を果たしています。ニワトリの外見はオスの羽が派手な飾りと色彩をしていますが、繁殖期にメスを魅了すためと考えられています。例外もあり、アメリカヤマセミのメス、ヒレアシシギのメスはメスのほうがきれいですが、これらの種はメスがオスにアピールしています。羽の手入れは、羽を使って砂を巻き上げて体全体にかけたり、水浴したりします。さらに、尾の付け根に尾脂腺(びしせん)という油を出す分泌腺があって、この油を嘴につけて羽根に塗り耐水性を保と共に汚れ等を防止しています。尾脂腺はガンやカモなどの水鳥に特に発達しています。
ラジオの電話相談室に出演した時代、「ニワトリは何枚羽がありますか?」と質問されて困ったときがあります。この数値で尋ねられるのが一番困るのですが、数えている方がいるもので、ニワトリは5,000~6,000枚、コハクチョウが25,000枚以上、小型のハチドリの羽の枚数は約1,500枚(ハチドリは種類も多く体重は2~20gで最小のキューバに生息する種類は体重2g、体長6cm)と記載されていました。一口にニワトリと言っても、チャボとレグホーンで比べても体格差が大きいためこれらの数値はふつう見られる種類と考えられ、羽のつく面積が大きい種ほど枚数も多くなっています。また、羽は全身にくまなく生えているのではなく、生えていない部位は裸区、生えている部位を羽区と呼んでいます。
2.足と蹴爪
今では鳥の祖先がジュラシックパークでお馴染みの白亜紀後期に生息していた肉食恐竜ティラノサウルスやヴェロキラプトル、スピノサウルスなどの仲間と小学生でも知っています。そのため恐竜は生きているという人もいます。恐竜の仲間で羽毛の生えた化石が見つかると復元図はそれまでのトカゲのような体表から一変して色彩も豊かな羽毛をまとった図に変わってきました。羽以外に名残を鳥の足に見ることができます。ニワトリの足の指(趾)は小指が退化し、3本が前方に向き、1本が後ろに向いていて全部で4本です。ウコッケイは例外で、前足が3本前方、後ろ足に親指が2本以上後ろに向き、合計6-7本の個体もいます。
たくましい足の鱗(うろこ)と鋭い蹴爪(けづめ)は軍鶏(しゃも)を見れば納得されるでしょう。蹴爪はオスにだけあるのですが、この蹴爪を使ってオス同士で戦い、勝者がメスと交尾するのです。軍鶏は声も良く闘争心も強いので闘鶏にも使われ、食べても美味しい品種です。
ニワトリ以外の鳥では機会があれば動物園に足を運び、オーストラリアやニューギニアに生息するヒクイドリの足を見てください。私は上野動物園に就職したとき、ヒクイドリの寝室にある直径12mmの鉄柵が何本も曲がっていて住人のヒクイドリの仕業と聞いてびっくりしました。彼らの足はまさに恐竜の足を彷彿させる迫力がある代物で、先輩に注意されなくとも一緒に中に入ろうとは思いません。
3.鶏冠(とさか)と肉垂れ(にくだれ)
ニワトリには多肉の突起物、鶏冠(とさか)や肉垂れ(にくだれ)が付いています。オスの方が大きいのですがメスにもあります。鶏冠の赤い色は組織を通して見える血液の色です。その役割については大きく2つあると考えられています。
(ア)血管が集中し、温めたり熱を放出したりして体温の調整に役立っている。
(イ)繁殖期にメスに対するアピール用です。
白色レグホーンの場合、メスより一回り大きなオスは男性ホルモンのテストステロンの影響で繁殖期なると鶏冠の面積を増やすことや鶏冠の色が濃くなります。そのため若鳥を去勢するとメスと同様な鶏冠になります。目の良いニワトリは赤や黄色に敏感に反応しメスを引きつけたり競争相手となるオスを威嚇したりします。
なお、鶏冠の色は品種により様々です。
4.目
鳥の目には第3のまぶたと呼ばれる瞬膜があります。人間の場合目の片隅に白く痕跡が残っているのみですが、鳥の場合、半透明な瞬膜は嘴(くちばし)から斜めに耳に向かって閉じることで、目の表面を保護しきれいにする役割を担っています。
白色レグホーンの体色は白ですが鶏冠の赤が重要な部位となっています。また、昨今話題の江戸時代の画家、伊藤若冲の群鶏図や平山郁夫(元東京藝術大学学長)画伯の素晴らしい絵を拝見すれば色彩豊かなニワトリが描かれています。それぞれ競って様々な色でメスたちに訴えているのでしょう。
夜間になると視力がグッと落ちる病気に夜盲症があり鳥目とも呼ばれています。昔の人々は鳥が夜になると活動しないので見えないだろうと思っていたのでしょう。しかし、これはニワトリだけにはあてはまるので必ずしも正しくはありません。目の網膜にある視細胞には明暗に関係する桿体細胞と色覚に関係する錐体細胞がありますが、ニワトリには桿体細胞がないので暗くなると極端に活動が鈍ってしまうのです。
ワシントン大学(セントルイス)で視細胞の研究をしているポスドク研究員の佐藤慎哉博士から次のようなアドバイスをいただきました。
目の網膜にある細胞には「暗所で働く桿体と明所で働く錐体があります。加えて錐体には複数の異なる色感受性を持つタイプがあり、色覚を司ることもできるのです。」
5.耳
鳥の外耳は羽に隠れてどこにあるか判りにくいのですが、ニワトリの場合目の後ろにあるので、羽をそっとかき分けてみればわかります。
私たちの可聴域は20~20,000Hz(ヘルツ)の音域を聞くことができます。鳥類の可聴域は種によって違います。例をいくつかあげると、ウソが低音100Hz以上、高音25,000~29,000Hz、カササギは低音100Hz以上、高音21,000Hz、ホシムクドリは低音100Hz以上、高音15,000Hz、トラフズクでは低音が100Hz以上、高音は18,000Hzとなっていて、ヒトと大きな違いがないことがわかります。残念ながらニワトリの鳴き声の可聴域の資料は入手できませんでしたが、ニワトリの雛は母親の低音(400Hz)によく反応し、母親は雛の高音(3,000Hz)に敏感であるとの報告があります。
子ども時代庭でニワトリを飼育していましたが、卵を産むときに大きな声で鳴くので産卵が判りいそいそと小屋に採りに行きました。
春を告げるウグイスは関東地方では3月初旬に「ホーホケキョ」と鳴きます。
天然記念物としてのニワトリ
現在ニワトリの品種は世界で120以上あります。この中で我が国の天然記念物に指定されているニワトリが17種類います。そして、その中の一種に世界に名をとどろかせた特別天然記念物の長尾鶏がいます。高知県南国市にある「長尾鶏センター」には、尾の最長が13.5メートルになった個体がいました。年齢は18歳でした。ギネスブックには、1972年の記録として窪田正夫氏のオスの10.6mが載っています。(ネット長尾鶏センター)
また、日本三大長鳴鳥として知られる「声良」という品種は秋田、青森、岩手の各県で飼育されていますし、東天紅(高知県)や蜀鶏(とうまる=唐丸・新潟県)も知る人ぞ知る素晴らしい声の持ち主で共に天然記念物に指定されています。
主な参考文献
A&H クリュックシアンク 著 青柳昌宏 訳 |
鳥についての300の質問 (ブルーバックス) 講談社 1982. |
遠藤秀樹 | ニワトリ愛を独り占めにした鳥 光文社新書 2010. |
秋篠宮文仁,小宮輝之 (監修・著) | 日本の家畜・家禽 学習研究社2009 |
秋篠宮文仁,小宮輝之 (監修・著) | もっと知りたい! 十二支のひみつ 小学館 2006. |
佐野正雄 | 鶏の復権 創栄出版 2000. |
佐野正雄 | 君はゆく 創栄出版 1992. |
正田陽一 (編著) | 人間が作った動物たち(東書選書) 東京書籍 1987. |
田名部雄一 | ニワトリはどこからきたのか どうぶつと動物園 Vol.33 No.1 (財)東京動物園協会1981. |
谷川健一 | ニワトリの民俗誌 どうぶつと動物園Vol.33 No.1 (財)東京動物園協会1981. |
西田隆雄 | ヤケイの家畜化 どうぶつと動物園 Vol.33 No.1 (財)東京動物園協会1981. |
百瀬親夫 他 | 全国日本鶏保存会編集 原色 日本鶏―その鑑賞と飼い方 ペットライフ社 1974. |
黒田長久 | 鳥の視覚と聴覚、嗅覚 In 週刊朝日百科 動物たちの地球 18. 朝日新聞社 1991. |
成島悦雄 | 鳥の耳 どうぶつたちのからだとくらし(77) どうぶつと動物園 Vol.32 No.2 (財) 東京動物園協会 1979. |