中里竜二さんと「オッコ」… 伊藤政顕より

スタッフ

2018年3月8日の朝、川口幸男さんから電話がありました。

中里竜二さんが亡くなったことを知らせる電話でした。

私はたいへんなショックを受けました。ひな祭りもすぎ、お彼岸の頃には中里さんは元気に退院されるだろうと思っていたからです。

私は東京動物園協会で月刊雑誌「どうぶつと動物園」の編集をしていたので、動物園の職員の人たちにはたいへんお世話になりました。特に飼育課の方々には、担当している動物の様子を聞いたり、原稿を書いてもらったりしていました。
私の前任者は、当時アメリカの動物園で仕事をするために、出発の準備をしていた川田健さんですが、川田さんは編集の仕事を引きつぐ時に、主な執筆者のリストをくれました。その中に中里さんの名前が入っていました。

中里さんは当時スナイロワラビーの飼育を担当していました。そして、その時、スナイロワラビーの人工哺育に取り組んでいたのです。

ある日、中里さんは放飼場に小さなスナイロワラビーの子どもが落ちているのを見つけました。
カンガルーの仲間は、母親がおなかの袋の中で子どもを育てますが、時々、なんらかの拍子に子どもが落ちてしまうことがあります。落ちた子どもは母親の袋にもどることは出来ず、そのままでは死んでしまいます。
中里さんは落ちていた子どもを拾い上げ、袋の中に戻すことも考えましたが、また落ちてしまうこともあるので、何とか育てようと思いました。

まずタオルで母親の育児嚢(いくじのう)と同じような袋を作り、この中で育てることにしたのです。そして、この子どもに「オッコ」という名前をつけました。母親の袋から落ちた子どもだからというわけですが、ユーモアが感じられるかわいい名前です。

オッコはタオルの袋の中で、哺乳びんからミルクを飲んでいました。中里さんは数時間おきにミルクを飲ませたり、袋の中の掃除をしたりしていましたが、夜は家に連れて帰って観察を続けていたのです。
オッコはこのような中里さんの愛情と努力のおかげですくすくと育ち、やがてタオルの袋から出て放飼場で遊ぶようになりました。

中里さんはスナイロワラビーの他にも、チンパンジー、ジャイアントパンダなど多くの動物の飼育を担当していましたが、オッコの人工哺育は忘れられない仕事だったに違いありません。

長い冬が過ぎ、明るい光の中に春を迎えるころ、中里さんは天国のカンガルー園でオッコと楽しく遊んでいることでしょう。

心よりご冥福を祈ります。

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