2018年3月 親友 中里竜二さん逝去

2018年3月7日 私は胃がんと大腸がんの手術後5年目検診で異常なしの結果を聞いてほっとしていた。病院から帰宅途中、埼玉県上尾駅に着くと携帯電話に中里さんの妹さんから着信があった。

「川口さん、兄が川口さんに会いたいから呼んでくれと、と言っているので来てくれませんか」

その日、大腸検査のため午前中に20数回もトイレに行き消耗していたので、

「明日ではいけませんか」と尋ねた。

彼女は、

「実は兄の容態が急変し、今集中治療室に入っているので、明日まで持つかどうかわからないんです。今日中に来ていただけませんか」

と切羽詰まった感じであった。

長野須坂動物園 中里竜二氏と大高成元氏

これはたいへんだ。とそのまま上尾駅から東京の練馬の病院に駆けつけた。

集中治療室に入ると、すぐに私とわかったようで一回り小さくなった顔でにっこり笑い、

「よう! どうも有難う」

と手を挙げた。

近くにいた看護師も

「待ち人が来てくれて良かったね」

語りかけた。

やれやれ思ったより元気ではないか、と感じ一瞬ほっとした。
彼は、

「動物園ではずいぶんお世話になったね」

と満足そうだった。

1時間ばかりいる間に、甥っ子や親族が次々と面会に来たが、意識ははっきりして、目で一人一人に挨拶をしていた。

やがて、

「ちょっと疲れたから眠る」

と言って静かに目を閉じた。

あまり長居すると体力を消耗するだろう、と彼の手を握り「また明日来るからね」とささやき病院を後にした。
妹さんの話によれば、痛み止めが効いて意識もはっきりしていたようだ。

帰宅して風呂に入っている間に、妹さんから、私の帰宅後急変して兄が亡くなった・・・

と電話があった。

江の島水族館

中里さんは、私が結核で入院していた1966年に上野動物園に採用され、最初の担当がオスゾウ「メナム」でまだ3歳の子ゾウであった。彼は盛んに遊びたい盛りで遊び相手として飼育係に突っかかってくるのが脅威だったらしく、半年近くでメナムの担当を辞めてしまった。

その実力を発揮したのは、中川志郎飼育課長(当時。のちに7代目園長)が1969年に1年近くのヨーロッパ研修から帰国すると、最新の動物園事業を見直した時からだ。その一環として飼育係の変革に着手し、この頃から採用し始めた大学の畜産学科の職員たちに飼育する上での目標を示した。

そのひとつが1970年9月に結成された動物行動調査班で、群で飼育していたカンガルー、マントヒヒ、ペンギン、サル山のニホンザルを対象に、4~5人のグループで行動調査を始めた。全体のチームリーダーとして中里さんを指名したが、朝早く出勤し夜遅くまで資料室で参考書を読んでいたのを管理職や職員も知っていたので、誰もが納得する班長となり、中川の補佐役となった。

北海道釧路丹頂鶴自然公園

中川さんが多摩の園長に昇格し移動すると、私は中川さんの代わりに彼を相談役として長い間お願いしていた。
行動調査は動物の記録の重要性を認識させ、卒業論文では記録の仕方と、1年間で一つの論文としてまとめる難しさを学んだ。数値で記録した方がまとめ易いので、主に1分間ごとに行動をチェックする記録方法と採用していた。この方法はまとめるときには簡単だが、タイミングよく全ての行動記録が取れない欠点があった。補足するためには記述式の記録もまた重要であることが判ったので補足した。
中里さんが初めて着手した行動調査はスナイロワラビーで、中里班長の元、中江川嵺飼育係長、河野典子獣医師、吉野重雄飼育係の4人で当時の飼育係の精鋭たちが集まった。
この結果は動水誌、動物と自然、どうぶつと動物園などにも紹介された。

動物園の主要目的は多岐にわたっているが、動物を健康に飼育する上でも飼育動物の調査研究はともすればおざなりにされていた。すでに欧米ではこの点も重要視されはじめていたので中川課長は日常業務に組み入れて飼育係員のレベルアップに繋げた。さらに、行動調査班の職員を中心にして、日本女子大学や麻布大学、日本大学、早稲田大学、国際学院埼玉他大学の生物、畜産、獣医学部の卒業論文作成に定年まで継続して受け入れて総数およそ50名にのぼった。

左から川口、中里氏、大高氏 北海道にて

さて、中里さんは育児放棄されたカンガルーの子どもを人工哺育するために、タオルで袋を作り紐で胸から吊り下げて自宅に連れ帰っていたが、このときには妹さんも哺乳を手伝った、と蔵書整理の合間に伺った。やがてすっかりカンガルーに魅了され、カンガルーのみならずオーストラリアの動物全般にわたり興味をもち参考文献を収集し、そしてカンガルーグッズの収集家になった。ある時は、カンガルーの飾りのついたイヤリングをデパートで見つけ、店員に片方だけ買うことができないか尋ねたら断られたと大笑いしたこともある。私もこれ見よがしにベルトのバックルにカンガルーがあるのを見つけて締めて行ったがすぐに没収された。彼のカンガルーグッズの収集が知れ渡ると多くの方々が見つけてプレゼントしていた。この膨大なコレクションは近所にバストイレ付きの二間のアパートを借りて収納し、自称「カンガルー博物館」と称して楽しんでいた。本人は近くに立派な家があるのにカンガルーグッズの収納用の部屋でバスなど1回も使わなかっただろう。

ゾウのコンサルト、アラン・ルーフクロフト氏を迎えて エレファント・トーク事務所で 2011/10

2017年4月、満開の桜も散り始めるころになると体力が急速に低下していった。2020年のオリンピックまで元気でいてテレビで見たい、と話していた。ところが入院して治療を受けても思うように回復しないため、ついに近くの有料老人ホームへ入所した。一番の悩みの種は長年収集したカンガルー博物館のことだった。そこで以前コレクションの展示会を開催した埼玉県こども動物自然公園で引き取ってくれないか、相談を持ちかけたところ快く引き受けられた。入所するとすぐに動物公園の人たちが来て全て引き取ってくれた、と私に話した。これは予てより心残りのことが希望通りになったのでことのほか嬉しかったようだ。

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