2018年3月 親友 中里竜二さん逝去

スタッフ

私は退職した2000年7月1日に上尾税務署に「エレファント・トーク」の開業届を提出した。メンバーは家族と、中里竜二氏、及び写真家の大高成元氏、北海道大学獣医学部の田中伸子氏、動物解説員の新宅宏二氏など私よりはるかに豊富な知識を持った素晴らしい人たちである。

とりわけ、大高氏は私たちより1歳年上で1973年に東京動物園協会のカメラマンを退職して、フリーのカメラマンとして世界各地の動物園や野生動物の写真を撮り続けていた。私たちが退職すると彼は車で各地の動物園は関東近辺から北海道まで豊富なエピソードを交えながら案内された。5~6年過ぎた頃、こんどは、大高さんは海外の事情にも詳しいので3人でヨーロッパに1カ月くらい行こうと計画していた。3人とも80歳までは行けると自分たちの体力の限界を楽観視していた。

2007年1月元旦、私は軽い脳梗塞で入院した。その後、数年置きに突発性難聴、胃がん、大腸がん、良性の神経腫瘍を患い入退院を繰り返したが、そのつど元気に復帰してメンバーを驚かせた。彼は、何らかの原稿を抱え続けていた私の原稿を添削して、病室まで届けていた。この頃には、動物園協会で長年編集の仕事をし、上野動物園の動物相談員でご一緒した博学の伊藤政顕氏、両生類・爬虫類に詳しい山本洋輔氏も加わっていた。

2007年11月、中里さんが予てより念願のオーストラリアに行きたいと言い出し、元旦に私は脳梗塞で入院していたが、担当医に相談したところOKの返事をもらい3人で出かけた。大高さんは以前長期滞在しており、オーストラリアも詳しいので安心して同行した。中里さんはコアラと一緒に写真を撮りたいのでフェザーデール・ワイルドライフ・パーク (Featherdale Wildlife Park) に大高さんと一緒に行き、その間中里さんは大高さんの案内でコアラを見に行き一緒に写真を撮って帰ってきた。

私はホテルで休養して体力を温存していたが、戻ってくるなりコアラと一緒の写真を得意げに見せてくれた。動物園では大好きなオーストラリアの動物を見るたびに専門的な解説をして大満足のようであった。

国内は、動物園とグルメを合わせて各地に行った。焼津の民宿ではマグロの頭の丸焼、大洗のイワシの刺身、山梨のホウトウ、北海道は田中伸子氏に見事な紅葉と美味しい店を紹介していただいた。高級店ではないが各地の名物料理を大高さんの車で案内され、楽しいひと時を過ごし続けていた
彼は2017年の正月以来、急に持病である肺の機能が低下して階段を数段上るのもやっとの状態に陥った。2017年4月に入院すると、私は1週間から10日に1回、面会に通った。50年以上も同じ職場に勤めているので、共通の話題は数多くあった。さらに2008年からヘーベルハウスのホームページに連載していた「おもしろ動物大百科」の苦心した話題など、諸々のトピックスが走馬灯のように頭をよぎり、お互いに他愛のない昔話を繰り返ししゃべるのがなんとも楽しかった。

2018年3月7日に彼が亡くなって以来、彼の膨大な書籍の整理に行こうと考えていたが、1カ月間は彼の家に行くのが淋しく、自宅で籠っていた。さすがに4月に入ると重い腰を上げて彼の自宅を訪れた。部屋は膨大な本で溢れていた。どうするか思案したが、家族の許可を得て、交流の深かった動物園の若い人達を中心に贈呈することにした。その数およそ1万冊にのぼった。
蔵書整理は彼が長年お世話になった動物園協会資料室の尾高伸子さんが大活躍で、自宅の一室に引き取り手のない図書を収納していただいている。動物園に就職以来、資料室の歴代室長と職員の方々には、一方ならぬお世話になっている。みなさには感謝、感謝である。

添削した私の原稿も出てきたので、持ち帰って不要なものを処分しようと整理を始めたが、もう彼に添削してもらえないと思うと無下に捨てることはできなかった。

書棚の一角に中里さんコーナーがどっかりと腰を下ろして私を見守っている。これらの添削された原稿は私だけの宝物だ。

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