ニホンザル「チロ」の話し

動物一般

新年明けましておめでとうございます

今年も皆様元気に過ごせますようにお祈りしています。

最近の分類はDNAの解析が進み、昔は考えられなった目(分類のもく)が一部代わっています。その一つが偶蹄目(ウシやカモシカ他)とクジラ目が近縁と判り、クジラ偶蹄目と分類され、今では分類学者たちの多くが認めています。また、霊長目の中では、類人猿と呼ばれたゴリラ、オランウータン、チンパンジー、ボノボ及び人間がヒト科に含まれ、数え方も何頭ではなく、人間と同様に何人とする学者もいます。

さて、今年は申(さる)年ですが、私は上野動物園に勤務していた時代、サル山のニホンザルとゾウを約40年間担当しました。現在は群れも入れ替わっていますが、定年頃にはサル山で生まれた子どもは6代目の子どもがいました。

今回はその中から「チロ」と命名されたサルを紹介しましょう。

チロはメスの中でも小柄で腕力も弱く、ケンカも強くないために目立たない存在でした。母親はチビコ、おばあさんはオオババアという屋久島産のサルでした。当時メスで一番順位が高く、メスガシラと呼ばれていたサルはハンガクの娘、ハサンでした。彼女はチロと対照的に向こう気が滅法強いサルで、ボスは一目も二目も置いていたサルでした。チロとハサンは同じ屋久島産ですが、血縁ではないので普段の生活はハサン一家の御機嫌を取りながら、一定の距離を隔てて接していました。

1971年(昭和46年)2月に事件は起きました。群れは交尾期の最中、私は朝、事務所に入る前にサル山の全頭について健康状態をチェックしていました。するとチロが後ろ足のふくらはぎから出血し、足を引きずっていることに気付きました。まだ負傷後あまり時間が経過していないらしく出血が多く、処置をどうするか考えながら急いで事務所に行き、獣医師や他の飼育担当者の出勤を待って対応を検討しました。

動物園にはベテラン臨床医のスタッフが揃っているので、この程度の傷なら入院治療すれば完全に回復することは請け合いです。それでも尚且、私たちが協議しているのは二者択一の選択を協議しているのです。一つはチロを捕獲する方法、2つ目は経過を見守ることです。

捕獲するためには、飼育係員がサル山の中に入って、捕獲用の玉網(約1~1.2mの樫の柄の棒に直径40センチ、長さ50センチの漁網がついているもの)を使って捕獲します。しかし、そのために例えば飼育員5人がサル山に入ると、サルたちは全員自分が捕獲対象になっていると錯覚し、慌てふためき避難を始め、やがて恐怖が限界にくると、なかには11mもある山の頂上からコンクリートの地面に飛び降りるサルも出てきます。普段なら決してそんな無謀なことはしませんが、人間に捕まるより飛び降りる方を選ぶのです。それはビルの三階の部屋が火事になり、逃げ場を失った人が火勢に追われて地上に飛び降りるようなもので、非常に危険です。

ふつう予防注射などで捕獲をする場合、サルが飛び降りても骨折をしないように、山の周囲にネットやマットを敷き詰めて事故を未然に防ぐ手立てを講じているのです。また、捕獲作業は短時間で終了しないと、追われるショックで恐慌を来し、ついには酸欠状態を呈しショック死を招くこともあります。そのため飼育係員が総出で綿密な計画を立て実行します。さらにチロは足を負傷中なので、逃げまどうと高所から落下することが懸念されます。

観察を続けていると、今回のチロのふくらはぎからの出血は多量とはいえ、命に別状のあるほどではないようです。彼女は私と目が会うとそっぽを向いて顔を会わせるのを避けるそぶりが見えました。彼らは病気や怪我をすると飼育係が大勢やってきて捕まえられ、どこかに連れて行くのを経験で知っているのです。それで、どこも痛くありません。と平静を装って私に弱みを見せまいとしているのです。私たちは出血の状況やちょっとした動きの変化、山のどこにいるか、ほかのサルたちのチロへの関心、だれが攻撃し、だれが援護しているか、昨日は餌を食べていたか、などをすばやく総合して判断します。こんな場合、ベテランの獣医師と私たち飼育係の経験が頼りです。

この朝、私たちはチロの出血が止まるか否か、他のサルとの関係の他にも、昨日からの採食状況から餌は採食していることがわかっていました。しかし、捕獲となると他のサルの赤ちゃんをはじめ、多くのサルが逃げることによってチロと同様、あるいは更に重い怪我をする可能性が強いと判断し、チロを捕獲して治療することを断念し、経過を観察していくことにしました。幸運なことに午後になると出血は止まり、他のサルが再び攻撃することがないのを確認し、みんなでほっと胸をなでおろしました。

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