No.175 干支「申:サル」にまつわる話

干支にちなんだ話ペットコラム

2016年 明けましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりましたが、本年もよろしくお願い致します。

今年は申(サル)年ですが、サルと一口に言ってもその種類はおよそ200種類、さらに細かく分類する学者もいます。このうちの1種がニホンザル、別名スノーモンキーとも呼ばれ、青森県の下北半島の群れは最北端に生息するサルとして世界的に有名です。冬がくれば極寒の下北半島や白山(日本百名山の一つ。北陸地方の岐阜と石川にまたがり標高2,702mの山)では雪帽子をかぶったサルがくっつき合って暖をとり、また、長野県の地獄谷野猿公苑では露天風呂の温泉に気持ちよさそうに入っています。サルの種類が多いアフリカや南米では見られない独特の光景です。
ニホンザルは2亜種に分類され、一つは北海道を除く本州に広く分布するホンドザル、もう一つは屋久島に生息するヤクザルでホンドザルに比べ少し小型で、体毛は太く長めで密度が低く、生息地に順応した体になっています。屋久島は亜熱帯に位置して平地で年間平均気温約20度と温暖で、山岳部で冬季は積雪のあるときは低地に移動します。青森県から屋久島までおよそ2,000kmの距離があり、青森県に生息するサルは体毛の密度が高く、皮下脂肪も厚く防寒に備えた体ですが、屋久島は暑さに耐えるため反対の傾向が見られます。ニホンザルの主食は木の実、果物、雑草と呼ばれるハコベ、ナズナ、タネツケバナ、センダングサ、ヨモギなどの新芽を採食し、生息地や四季によって採食する種類が違います。サル山の横にある大島桜が春満開になったあと花びらがヒラヒラと山の中に舞い落ちると、下に待ち受けていて花びらを採食します。野生ではニセアカシアの花や、野イチゴ、柿やクリ、ヤマモモなど春から夏にかけ豊富な花や果物の恵みを満喫しますが、冬はこのような美味しい食物はなくヤマザクラの冬芽、コナラの樹皮、金華山では秋から冬にかけケヤキとイヌシデの実が約70%を占めます。この他、昆虫類も好物で、私はサル山にセミが飛び込んでサルの近くに着地した瞬間に捉えて口に放り込むのを偶然見たことがあります。昆虫は貴重なタンパク源で、イモムシ、アオバハゴロモの幼虫、イナゴ、クモ、さらに海辺に生息する群れはカニやサカナ、ホンダワラやアマモなどの海藻、あるいはキノコやコケまで採食し総種類数600種類以上にのぼり、1つの群れでもおよそ100種類を採食しています。

さて、私は上野動物園在職中(1959~2000年)およそ40年間サル山のニホンザルの担当で、初代から数えると1999年に生まれた中には6代目の子ザルがいました。狭いながらも何世代もの親と兄弟姉妹の他にも親族が同じ空間で自由に生活する、動物園では稀有な存在でした。愛称が付けられサルたちの個体識別ができて観察するようになると一層愛着が湧き、日誌に個体情報を記載することで担当者全員が健康状態を把握して管理ができるようになりました。加えて、親子関係や家族同士の関係、ボスザルの行動など社会行動も判ってきました。
それでは今ではすっかり代替わりしたサル山のサルたちを偲んで、古き良き時代にタイムスリップしてエピソードをいくつか紹介しましょう。

動物たちの愛称

長野県地獄谷温泉ですっかりいい気持ちで、ついウトウトする親子。初夢を見ているのかな?写真家 大高成元氏撮影

学術論文ならば50頭サルがいても、No1からNo50までの記号で表せば良いのですが、動物園の場合、愛称があった方が一般の方々も親しみ易いのです。同じサルでも類人猿のゴリラやオランウータン、チンパンジーなどは来園するとすぐに名前を公募していました。ゴリラのブルブル、チンパンジーのビル、オランウータンのモリーなど名前を聞くだけでその姿が目に浮かびますが、小型のサルは命名していないサルも多かったのです。
サル山のサルに名前をつけるようになったのは1952年頃のことです。当時上野の獣医師・浅倉繁春先生(のちに5代目上野動物園長)はサルの繁殖行動、大島増次先生はサルの言葉(音声学)研究を行うに際して、調査しやすいようにサル山に飼育されていたメス5頭、オス7頭、合計12頭のうち子どもを除いた8頭のニホンザルに個体の外見上の特徴を巧みに捉えて命名をしました。

最初に命名されたメンバー

メスは以下の5頭でファウンダー(創始個体)となりました。

  1. オオババア:最年長のサル。初代のメスガシラ。屋久島。
  2. ハンガク:ヤクザルで両小鬢(頭の左右前側面の髪)の毛が抜けている。
    3代目メスガシラ 屋久島。
  3. モモコ:毛艶が良く一番の美女。2代目メスガシラ。幸島。
  4. ベソ:ホンドザルだが順位が低く、ベソをかいたような顔。幸島。
  5. アカ:顔がいつも赤く目立つ。幸島。

オスは以下の7頭です。

  1. 団十郎:歌舞伎俳優の市川団十郎さんのように見た目も良かった。初代のボス。
  2. ノッポ:当時推定9歳でしたが腰が悪く年下のタロウが先にボスになった。
  3. タロウ:団十郎が1957年に死亡すると2代目のボスになりましたが、わずか1ヶ月半で
    死亡しました。
  4. 4~7:この4頭はまだ名前のないオスの子どもで、タロウより低い順位でした。

このように、名前を見ただけでもサルの特徴がなんとなく判ります。

ちなみに群れの動物を個体識別して調査する方法は、京都大学の今西錦司教授のグループが宮崎県幸島の野生のサルに餌付けをして1頭ずつ個体識別をしたのが我が国では初めてでした。

メスガシラの変遷

オオババアは初代メスガシラで1957年に亡くなりましたが、シコメとチビコの2頭の娘を産んでいました。長女はシコメ(醜女)というあまり芳しくない名前が付けられました。春から夏にかけて毛が抜け、9月から10月にかけて冬毛に換毛します。冬毛の場合はきれいな毛でおおわれますが、夏毛は地肌が見えるほど毛が抜けてヤクザルは余計みすぼらしいのです。シコメにはシロー、シラハマ、シサシの3頭の息子たちがいました。このうちシローは小柄で両鬢の毛が抜けたモヒカンルックのへア-スタイルで屋久島系の特徴が良く現われていました。性格は温和で子どもたちに人気があり、遊び相手になっていたのでメスたちの印象が良いらしくメスにグルーミングされていました。
私が担当になった1960年、オオババアが死亡して、代わってメスガシラになったのは美女の誉れ高い宮崎系ホンドサルのモモコでした。それまで権勢を誇っていた屋久島系のハンガクやシコメやチビコはいわば不遇の時代を迎えたのです。メスガシラの地位はサル山のような狭い閉鎖空間では観客が放り込む食べ物を先取りすることができるので垂涎の的です。病気で長期間留守にしたり、死亡したりするたびにその座を巡り激しい闘争が繰り広げられたのです。のちにメスガシラのモモコが負傷し入院中にハンガク一族がメスガシラの座につき、退院してきたモモコは反撃を試みましたがハンガクと娘のハサン親子に完膚なきまで攻撃され2度とメスガシラに復帰できませんでした。メスガシラのモモコがその座を追われると、長女のモヒチは子どもたちの頭髪を1本ずつ抜いて頭の三分の一くらいパッチ状のはげにしてしまいました。私たちはモヒチがハンガク一族のいじめに対するストレスから子どもの毛を無意識に抜いているのだろうと、と推測していました。

個体識別の効果

このように個体識別ができると健康管理が行き届くことが最も重要な効果ですが、さらに、名前がついたことで日々の変化を擬人化して発表すると、報道関係者の方々が次々と取材するようになり動物園の宣伝になりました。キリンやカバは動きが少ないので一目見れば終わりですが、サル山では母親が子どもを抱いてあやしたり、お辞儀をして食べ物をねだったり、遊びや喧嘩も絶えず繰り広げられています。まるで人間社会の縮図のようなドラマチックなシーンを見て、動物園の中で一番観客の滞留時間が長い動物になっていました。記者クラブのデスクは暗いニュースばかりの時や記事のないときは上野動物園に行って探してくるように記者に指令したそうです。もっとも人気のあった話題の一つはボスの交代で、1960~1980年代の歴代総理大臣が変わるたびにサル山のボスと比較したものです。時の総理大臣をサルと一緒に例えるのは失礼な話でしたが、読者も相手が動物なので明るい例え話として受け止めていたのでしょう。

ボスの交代劇

ボス交代劇のもっとも印象が深い事件は1971年2月6日に起きました。その昔、日本史で有名な二・二六事件(1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、青年将校らが下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件)にひっかけて、サル山の二・二六事件として発表しました。
事件のきっかけは、そもそも十四年間ボスに君臨していたオスのノッポが死亡し、その後任にメスガシラのハンガクの娘ハサンが就任していました。しかし、メスのボスは発情期がくるとオスに交代することが多いのです。非発情期にはおとなしかったオスたちも、発情期にはいると発情ホルモンが分泌され気分が高揚して、今まで弱気だった個体までが急に強気になります。2月に入り、本格的な発情期の突入と共に、若者や成獣のオスたちが虎視淡々とボスの座を狙い、なんとなく殺気立っているようです。
私たちはオスの候補を以下の7頭と推測して注意深く観察していました。
(1)シラハマ (2)シロ- (3)シサシ (4)アイク (5)モモタロウ (6)ベコン (7)マサ
7頭の中にはハンガクの子どもたち、シローの兄弟が候補として挙げられていました。この3頭中、年齢では長兄のシローが有力ですが小柄で体力的に無理がある、と見られ候補から洩れました。つぎに次兄のシラハマは大柄で顔も貫祿があって一番ボスに近い存在と予測され本命視していました。3男のシサシは可も不可もなく兄の2頭を飛び越えてボスになることはないだろう、と推測していたのです。その他にアイク、モモタロウ、若者のマサとベコンの二頭がリストアップされていましたが、モモタロウは体重が20kg以上の肥満体で動きが鈍く、アイクは母親の順位が低くバックアップしてくれる親族がいません。ベコンとマサはメスガシラのハサンのお気に入りなので、ダークホース的な存在でした。
さて、1971年2月6日の朝、いつものようにサル山を観察しはじめるとなんとなく全体に騒然とした雰囲気です。サルたちは落ち着かずせわしげに歩き、弱いオスは岩陰に潜み戦々恐々としていました。山の裏側から橋の下にかけて血痕があり闘争のあとが歴然として事件が起きたことを物語っています。すると、シサシが尾を背に付くほどピンと上げて悠然と闊歩しています。そして、順番に個体をチェックしていくとマサとベコンの姿が見えません。隠れていそうな場所を順に探していくと、2頭ともかなりのダメ-ジを受けたらしくてうずくまっているのが発見されました。昨日までメスガシラ・ハサンのお気に入りとして庇護を受けて着々と順位を上げていた2頭でしたが、成獣たちは密かにチャンスを狙っていたのかもしれません。たった一夜にしてこんなに群れ全体の雰囲気が変わることはかってないことでした。マサとベコンは重傷のようなのでこのままで放置しておいては2頭の命が危ないと思い、飼育係の応援を頼みサル山に入りました。サル山の群れは一切馴致していないため普段は飼育係が山に入ってもサルは飼育係に近寄りませんが、なんと満身創痍のベコンが近くに寄って飼育係に助けを求めたのです。ただちに入院させ治療をしたのでした。
シサシのボス誕生劇は昨夜から今朝にかけてのことでしょうが、兄弟以外の競争相手だった若者のベコンとマサ(共に6歳)が重症を負ったことで一件落着したのです。初代ダンジュウロウと二代目タロウがボスになった事情は知りませんが、恐らく実力でボスの座を勝ちとったのはシサシが初めてであったろう、と考えます。シサシはボスになったもののハサンとどのように接するか戸惑っていましたが、シサシは熾烈な戦いの中から飛び出しただけに自信にあふれ、日を重ねるに連れて態度に貫祿が出て名実と共に6代目のボスと認められたのです。2頭の兄たちを差し置いてシサシがボスの座に就いたのですが、長兄のシロ-は母親似の小柄で子供たちに人気があり、中央にある小屋が彼の定位置で0才児から2歳の遊び相手をしていました。年を経るに従ってその傾向は強くなり好々爺という感じがしたものです。次兄のシラハマは頬が丸みを帯び、そばかすが点在し、両鬢がちょっと薄く人相(猿相)が時代劇に登場する悪役のような印象を受け、今回のボス候補では本命でしたが弟のシサシに先を越されたのです。改めてシサシを見ると三兄弟の中で一番体格が立派であるばかりでなく、顔も男前?で凛々しく非のうちどころのないサルでした。

ボスザルの呼称について

今では野生のニホンザルにリーダーやボスと呼ばれるサルはいない、と言うことは定説となっています。野生のニホンザルの生態は、今西錦司先生や伊谷純一郎先生、ほか京都大学の先生方が幸島で餌付けをして、砂浜に出てきたサルの調査を行い社会構造を明らかにしていました。砂浜は広い平面なので順位に従って中心部から周辺部に広がっている様子はとても判りやすかったのですが、これに異を唱える先生が登場しました。その一人、宮城教育大学名誉教授、伊沢紘生(いざわこうせい)先生が1984年に上野動物園で講演した時に拝聴したのですが概略は次のとおりです。
「野生のニホンザルは、群れで生活しているが群れを統率するリーダーやボスは存在しない。その例として、山で椎の実や柿が実るときにボスが許可するまで採食しないで待っているサルはいない。繁殖期は決まっているので複数の個体が一斉に発情するため、強いサルが複数の個体を独占することはできない。繁殖期にはメスを巡って激しい闘争もあるが、弱い個体は逃げようと思えば障壁がないので大方は逃げることができる。外敵に対しての対応を考えた場合、日本にはヒョウやハイエナなどのような大型の肉食獣が生息せず、最大でもニホンツキノワグマがいるが、サルのように簡単に木に登ることができないので人間以外に外敵はいない。群れが移動するときにはリーダーまたはボスが先頭に立って誘導することはなく、誰かが移動を始めるとそれについていくことが多い」というものでした。説得力がありなるほどそうか、と納得しました。
そこで、早速卒業論文で動物園に実習に来ていた学生さんにリーダーが存在するという前提で「リーダーの役割と権利」と言うテーマで論文を作成することにしました。

  • その役割とは
    (1)群れの誘導
    (2)外敵に立ち向かう
  • 権利とは
    (1)餌の先取特権
    (2)好条件の場所の確保
    (3)発情期のメスの独占

役割の一つ、群れの誘導は野生の場合ねぐらから餌場に移動しますが、飼育下では群れの誘導はありません。次に、外敵として強いて挙げれば飼育係がサルを捕獲するときに捕獲網を持ってサル山に入るのですが、この時、彼らは飼育係を外敵と捉えているかもしれません。こんな時に一番先頭に立って向かってくるのはボスとは限りません。他のメンバーと一緒になって向かってきます。
権利として、サル山には観客が食べ物を投げ入れる頻度の高い場所があり、その下で待っています。また複数のサルがいる間に食べ物が投げ込まれると、特にメスガシラはにらみを利かし食べ物をとります。物乞いに有利な場所を好きな時に占めることができるので先取特権があるといえます。発情期については、一度に複数の個体が発情するときは、さすがにすべてのメスの相手はできず時々追い払って嫌がらせをしていました。
このころ私自身はまだボスという表現を使っていました。その理由は、サル山のような閉鎖空間で飼育すれば順位がついてボス化する個体がいるからです。人間でもボスと言う表現は良く使っており、それは半ば暴力的な表現ですが、サル山のニホンザルの中で一番強いサルが胸を張り闊歩するサルにぴったりの形容と思っていたからです。しかし、動物園も野生動物の本来の社会構造を伝えるようになってきました。その一環としてニホンザルについても餌付けをしていないサル社会を紹介することになり、1995年5月29日より、ボスから第一位のオスまたはケンカの一番強いサルと呼ぶことに改めたのです。

現在は私たちがサルの仲間と共通の祖先から生まれたことは周知の事実です。近年の霊長目の分類では、ヒト、ゴリラ、オランウータン、チンパンジーは同じヒト科に含まれています。事実、チンパンジーと人のDNAは98.5%同じです。ヒト科の中で人間の人口は2015年現在、72億9000万人で断トツに多いのですが、他の種はすべて絶滅危惧種です。科学の発達は目覚ましく月や火星にまで人工衛星を打ち上げ、ロボット産業が進む一方で、近代兵器も次々と開発を続け世界のどこかで戦争が途切れることなく勃発しています。
私たちはサルの仲間のなかで確かに知能は優れていますが、いまのところ戦争を止めさせることができません。平和な世界を作るためにどうすれば良いか、サル知恵を絞って一歩一歩実行していきたいものです。

現在連載中の「おもしろ動物大百科」N0.41でニホンザルのお話を掲載していますので、そちらも合わせてごらんください。

ニホンザルのことをもっと詳しく知りたい人は次の本も参考にしてください。

伊谷純一郎、徳田喜三郎、古谷義男、加納一男、秦雄一 高崎山ニホンザル自然群の社会構成 勁草書房 1964.
長谷川真理子 野生ニホンザルの育児行動 海鳴社 1983.
井澤絋生 下北のサル どうぶつ社 1981.
川口幸男 上野動物園サル山物語 大日本図書 1996.
正高信夫 ニホンザルの心を探る 朝日選書462 1992.
丸橋珠樹、山極寿一、古市剛史 屋久島の野生ニホンザル 東海大学出版会 1986.
和 秀雄 ニホンザル 性の生理 どうぶつ社 1982.
大島増次著、三井高孟編 In サルの話言葉 猿の四季 四季社版 1957.
大高成元、川口幸男、中里竜二 もっと知りたい! 十二支のひみつ 小学館 2006.
杉山幸丸 人とサルの違いがわかる本 オーム社  2010.
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